今日は、3.11の地震があって7年。
被災地では、あちこちで追悼式が行われたようです。
石巻に住む姪は、三男を失った遺族なので遺族代表として行事に参加して
何か話を頼まれたらしく緊張しているとのメールが来た。
夫は、あの地震の時、東京に住む友人と矢板市内のお蕎麦屋さんにいたらしい
毎年震災の3月11日には、友人とおそばを食べにその店に行くのが恒例でした。
しかし今年は、友人が来れないと言うので私が駆り出されて付き合ってきました。
私は、卵とじ蕎麦を
夫は、揚げ蕎麦のあんかけを食べてきました。
そして、私が3.11震災のときいたところは
フィットネスジム(Bライン)でしたので、そこにも行ってきました。
その時の場所での恐怖の思い出をたどって・・・どうということはないのですが
我が家の、追悼の意味を込めての行動でした。
あの時、姪や、兄弟たち、その他親戚の身をどれだけ案じたことか・・・
数日後にわかった悲惨な結果。
夫の母校(大勢の子どもが亡くなった大川小学校)のこと
姪の三男は、一人家にいて津波に飲み込まれ亡くなったこと
病弱な義姉と別の姪は、全身びしょびしょのまま一夜を明かし何とか命はとりとめたこと
いろんなことが思い出されます。
毎年悲しい3.11が訪れますね。
御家族を津波で・・・それもお子さんを・・・とても辛いお気持ちなのが分かります。
我が家は岩手県釜石市で働いている長男と3日間連絡も取れず、
心配だけで済みましたが・・・・。
思い出の場所で過ごす、そのお気持ちは教訓と記憶を忘れまいとする、
カンレさん御夫婦の意志の表れなんだと感じました。
お蕎麦、良いですね^^
我が家は、被災し、2日間食えなかった事を思い出し、雑炊を家で食べました。
36時間、災害現場で過ごした事も忘れません。
連絡が取れなかった時間が、長かったですよね。
釜石に住んでいた息子さんのこと、さぞご心配だったことでしょう。
秋風春風さんの家も被災者、被災地でしたね。
人の運命はわからないものです。
私たちは、残り少ない命ですが、大事にして生きたいと思います。
秋風春風さんは、お若いですから十分気を付けてくださいね。