先日、コロンの会会員の方の家にお邪魔したら
年季の入ったベーゴマがあって
私も、昔を思い出しあそばせてもらいました。
これは、ご主人が昔ベーゴマの名人だったとかで
硬い鉄の塊りがこれほどまでに
よい光沢と手触りがでている貴重な品物でした。
昔のベーゴマって
野球選手の名前が彫られていたのですね。
ここまでは、記憶にありませんでした。
昔を思い出し・・・と言っても
私は、ベーゴマを回した記憶はないのです。
兄弟は男ばかりでしたので
小さい頃、兄たちの中に入って
男の子の遊びに付き合って、見ていただけなのです。
確か?こんな紐の巻き方で、こんな手振りでまわしていたなぁ・・・
って感じで、記憶をたどり回してみました。
そしたら
なんと
最初の一回目から回ったではありませんか
不思議な感覚でした。
もしかして、実際に小さい頃
ベーゴマ遊びもやっていたのかも知れませんね
被災して石巻市の避難所にいる姪からのメールで
那須塩原から来た方たちにニジマスの塩焼きを
ご馳走になったとのことでした。
那須塩原って・・・どこのどなたたちなのかしら?
と思っておりましたら
なんと塩原の漁業組合の方たちが行ってくださったそうです。
川魚はあまり食べなかった姪も
熱々のニジマスの塩焼きはとっても美味しかったとのことでした。
石巻市といっても沢山の避難所がある中
たまたま姪のところだったこの縁に驚きました。
そして、とてもありがたいと、私も感謝した日でした。
先日、夫が被災地の親戚を見舞った時にも
一様に申しておりました。
救援物資が沢山届いて、とても助かっているとの事で
皆さんの暖かい心に感謝しておりました。
世界各国からも、救援の手が差し伸べられているし
皆さんの暖かい心を頂いて
きっと元気が出ていることでしょう!
長寿センターが、福島からの原発避難者受け入れの為
6月まで使えないという。
急遽会場を変更して、三島公民館で行った。
1 問い合わせの報告
2 東日本大災害により、キャンセルがありまた
災害の為の新しい依頼等
あわただしいこの一ヶ月だったが
また普段の依頼に戻りつつある現状報告。
3 避難者の保育サポート依頼があれば、100%ボランティアで行う。
4 サポート依頼のシフトつくり
5 連絡網の確認
6 総会の件
以上のようなことが主な内容。
こんな落ち着かない時期なのにもかかわらず出席者は11名
延期にするか迷ったが実施してよかった。
会議中にも、急なサポート依頼があり
担当者が早めに退席、保育サポートの依頼者のお宅に向かった。
今回は、震災体験の近況報告だけでも良いと思っていたが
話し合うことが多く、2時間があっという間にすぎて
12時終了。
昼食は、会員Oさんの時間調整にお付き合いして
久しぶりに麦縄の「にら玉子とじ蕎麦」を頂いて帰宅。
いよいよ、夫が被災した親戚へのお見舞いに行く事を決断。
4月4日、夫は東京に住む長男と二人で
朝7時に家をでました。
たまたま、決断したその日は
なくなった姪の三男(高校生)の火葬の日でした。
真っ先に火葬場へ行くことに・・・
11時到着・・・悲しみの中のお見送り・・・・・・・・・・
その後実家に・・・・・今まで広々とした田園風景だったところが
海と化して、母校の小中学校は水に浸かり
停電はまだ続き、いつ復旧するか見通しがつかないという。
自衛隊の方の捜索が続いていて
仮設の道路も、潮が引いている時じゃないと
実家にたどり着けない状態だったという。
幸い兄姉の家4軒は、すぐそばまで水は来ていたが
浸水することなく無事で
沢山の救援物資も届いていて感謝しているとの事でした。
その後、急ぎ、石巻市中心街の方の姉のところへ
そこもまた、満潮時には道路まで水が上がり通れなくなっていて
遠回りして、避難先の知り合いの家にやっとたどり着いたという。
ここもがれきの山にあ然としたらしい。
それから被災地塩釜の姪を見舞って一日フル回転。
予定していた親戚(9軒)の災害見舞いを済ませて
23時、無事帰宅しました。
かなり疲れていた様子の二人でした。
それでも、次の日、朝一番の新幹線で息子は会社に直行しました。
・
写真はありませんでした。
「写真を撮るために駐車している車で渋滞を招く」
そんな報道も聞いていたし
故郷のあまりにも衝撃的な景色が目に飛び込んできて
写真を撮る、そんな心境でもなかったようですのです。