照る日曇る日第1311回
とって72歳の作者の最近作であるが、歳の割には老成の陰影が濃く、世の中老人だらけなのだから、それほど早く枯淡の隠者にならずとも、という気がする。
でもこの人が「小津安二郎の映画のような歌が詠みたい」と呟いたり、鴎外や茂吉や仏蘭西革命をしたたかに生き抜いたジョセフ・フーシェに惹かれる気持ちは、とてもよく分かるのである。
集中の歌では
めんどりの腹を割らけば順々に生まれるたまご連なりありき
裸木の欅の高きところにて忘れられたる鳥の巣がみゆ
というそれこそアララギ直伝の謡い振りが、映像が眼前にありありと広がってくる秀逸な写生歌で、新たな衝撃を受けた。
おもしろき事を語らぬひとの歌おもしろからず歌は人にて
もののふは名こそするどくひびきけり梶原源太景季といふ
三丈一間にふたり棲めるか「神田川」きくときつねにうたがひにける
にも、思わず膝を打つ。ほんでもって、
子なきゆえ生にさほどの執着なしとぽつりと言ひし吾子をかなしむ
とし老いし渚ゆう子が懸命に歌ふを見るはかなしかりけり
という風に歌われると、こちらも悲しくなってしまう。また作者が、世間の常識に逆らって歌の最後に喜怒哀楽をはっきり歌うことにも共感を覚える。
歌には、次のような遊び心が大切だ。
「しろくま」といふ名のクリーニング店ありて美的女性が勤務してゐる
照國といふ横綱がむかしをり桜餅など食べて居るかな
頼山陽、頼三樹三郎おやこにて酒汲むときはたのしかるべし
ほんでもって、1首だけ選べと言われたら、やはりこれか。
トンネルに出口あることをうたがはず時速二百キロ「はやぶさ」突つ込む
人は皆デスマスクの如き顔をして眠っているらしどこの家でも 蝶人