あまでうす日記

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チャイコフスキーは2度死ぬ~横須賀芸術劇場にて鎌倉交響楽団第114回定期演奏会をきいて 

2019-11-30 22:24:17 | Weblog


蝶人物見遊山記第326回 &音楽千夜一夜第439回


歯医者のついでに久しぶりのカマキョウです。じつはここんとこ鎌倉芸術館が工事中なので横浜や横須賀で引っ越し公演をやっているそうです。横須賀なんてガラガラかと心配していたら、横須賀交響楽団に匹敵するくらいお客がいたので驚きました。

まずはいつのもように名曲中の名曲「鎌倉市歌」を名コンマス五味氏のリードで。彼氏ちょっと肥ったかな。好漢自重せよ。

お次は初めて耳にするリヒャヤルト・シュトラウスの「歌劇薔薇の騎士組曲」。歌劇の5年後の曲だそうですが、あの管楽器があれになってあそこに突っこむという露骨で卑猥な性交描写からはじまり、山あり谷ありの30分の難曲を、わいらの鎌響が見事に演奏してのけたので、びっくりポン。いつのまにこのオケは腕を上げたのでしょうか。

指揮者はと見ると何度か見聞きしたことのある横島勝人選手。音楽愛に溢れたこの人は、自分の音楽への思いや自分の解釈を、身ぶり手ぶりでじつに分かりやすく情熱的に演奏者に伝えます。そのさまは、見ていても気持ちがよろしい。鎌響もついていきやすいのではないでしょうか。

2曲目は佐藤友紀選手をフューチャーしたハイドンの「トランペッット協奏曲変ホ長調」。なんかはじめは神経質に楽器をいじっていたので、半世紀前の大昔、当時のN響の首席奏者の演奏会にいって、あまりにも無残なその演奏に耳を覆った悪夢の夜を思い出しましたが、まったくの杞憂で、佐藤選手が奏でるトランペットは正確無比。堂内狭しと鳴りわたるその朗々たる歌いっぷりは、まことに見事というも愚か。天晴れな晴れ姿でありました。

それにしても誰が考えたのか知らないが、シュトラウスの次にハイドンを持ってくるなんて、なんと大人なプログラムなんでしょう。しかも名演奏。なのに聴衆の拍手が少ない。土曜の午後のマチネとあってグウグウ寝ている奴もいる。猫に小判とはこのことでしょう。

休憩をはさんだトリには、チャイコフスキーの交響曲第6番という大曲を持ってきましたが、これが手に汗握る超熱演、(しかも聴きどころ満載、終始音楽性豊かな)で、すでに棺桶に片足掛けたおらっちは、涙が飛び出るほど感動しました。

今までカラヤンやムラビンスキーの録音を聴いてそれなりに満足していたのですが、目の前で実演、しかも名演奏を聴かされるとなんちゅうか異次元の感動を覚えます。

チャイコ選手はこの曲を書いてすぐにコレラで死ぬわけですが、実はそうではない。この曲を聴いていると第3楽章のチェレスタが鳴るところで一度死に、第4楽章のクライマックスで、もういちど死ぬ。2度も自殺していることをありありと分からせてくれる理智的にして情熱的な大演奏でありました。

ああそれなのに、3楽章の大盛り上るで拍手しちまうのはまあ許されるとして、4楽章の終りの終りで拍手しちまう馬鹿野郎は殺されても仕方ないでしょうね。

はしなくも私は、小池光氏の有名な短歌「佐野朋子のばかころしたろと思ひつつ教室へ行きしが佐野朋子をらず」(『日々の思い出』)を思い出しちまいましたよ。

まあそんな次第でたった1000円のコンサートでこれほど心身が満たされてよいのかというくらい充実のライヴでしたが、余事ながらホルンの首席はそろそろ若手と交代されたほうが御自身と楽団の為ではないかと思った次第です。

 小津安の映画のような歌を詠みたしという小池光の言に頷く 蝶人

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