照る日曇る日 第1547回
1942(昭和17)年11月2日未明、家人に窓を開かせ、「新生だ」との一言を遺し、北原白秋は午前7時50分に逝った。まだまだ元気に生き抜くつもりだったのである。
本書は、そんな白秋の最後の歌集「黒檜」を柱に、死後編集の「牡丹の木「黒檜」以後」を収めている。
享年57とは今の相場では若死にであろう。
晩年は目を患い、ほとんど視力を失ったが、その薄明に繋がる薄明の境地が、鑑真和上や同病の父親との意図的な複雑幻像を生んだりして、非アララギ的な象徴的な歌の数々が大量に生産された。
さりながら「良寛遺愛の鞠」の連作をみても、既視材料が脳内で再攪拌されている印象が強く、厳格な価値判定を下せば、最後に残るのは代表歌「照る月の冷さだかなるあかり戸に眼は凝らしつつ盲ひてゆくなり」一首のみということになるだろう。
それより気になるのは、これでもか、これでもかと調子に乗って大声で歌いあげる大量の大東亜戦争賛歌である。
未聞の興隆を誇った昭和15年の歌壇を代表していたのは、紛れもなく茂吉と白秋の2人であった、と島津忠夫選手は断言しているようだが、「天皇の大みいくさの行くところ神ましませり向ふ敵無し」とか「東条英機うたば響かむ鉄石のこの胆にしてこの秋やすし」「つはものはあへぐいまはもをたけびてこゑあげにけむ天皇陛下万歳」などという、いかにもな時事詠をイージーゴーイングにまき散らす代わりに、眼も口も閉じて泉下の人となってほしかった、とないものねだりをするのは、私だけだろうか。
2週間経っても恐らく減らないだろう気休め程度の措置延長 蝶人