あまでうす日記

あなたのために毎日お届けする映画、本、音楽、短歌、俳句、狂歌、美術、ふぁっちょん、詩とエッセイの花束です。

塚本邦雄著「塚本邦雄全歌集第6巻」を読んで

2022-04-18 09:54:42 | Weblog

照る日曇る日第1735回

この偉大なる前衛歌人の文庫本の全集は出始めた頃に何冊か読んだのだが、余りにも絢爛豪華な幻影世界に、食当たりならぬ文当たりがして、途中で放り投げて失礼したのだった。

 

が、久し振りに塚本選手を手にとってみたら、なかなか面白かった。

 

いつかどこかで穂村選手がかれを評して、「まるで玩具のように言葉を扱っている」、と非難めいたことをいうておったが、それは確かに彼の芸術の本質の一端を衝いていて、「心余りて言葉足らず」どころか、「心多くして言葉多し」の塚本ワールドのなのであるが、それが読者からみれば「心無しにして言葉多すぎ」と映ってしまうほどの言葉の魔術師ぶりなのである。

 

言葉の名人芸が為せる技といえばいえるが、しかしその自動表記にも似た、因業な右手の華麗な文飾テクの発動を、自負と諦念と悲哀を諸共に懐きつつ否定的に眺めていたのは、当の本人の大脳前頭葉なのだった。

 

されど彼の「不變律」「波瀾」「黄金律」という3つの代表作を読むひとは、彼の内面的な主題が、華麗に傾く空虚な修辞ではなく、その内奥で炸裂する「戦争」であることを知るだろう。

 

  山茱萸泡立ちゐたりきわれも死を懸けて徴兵忌避すればできたらう 

 

という「波瀾」の中の1首こそ、虚飾を剥ぎとり、心と言葉が調和した塚本ほんらいの歌だったのである。

 

      迫りくる「第7波」など忘れ去りみなウクライナに熱中している 蝶人

コメント
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