あまでうす日記

あなたのために毎日お届けする映画、本、音楽、短歌、俳句、狂歌、美術、ふぁっちょん、詩とエッセイの花束です。

ジェーン・バーキンの思い出 その2

2023-07-18 10:12:31 | Weblog

 

遥かな昔、遠い所で 第92回

 

ジェーン・バーキンが出演するテレビや雑誌広告の撮影は、京都の大沢池や高山寺の周辺で行われたので、私はロケ隊と同行し、彼女のモデルとしてのプロ意識とスタッフに対するざっくばらんな接し方に共感を覚えたが、いちばん印象的だったのは、ある日の昼の弁当に出て私を驚かせ、どうしても食べられなかったアメリカザリガニ!のフライの弁当を、彼女がミック・ジャガーのような大口で、パクパクパクと喰ってしまったことだった。

 

1986年11月30日日曜日の私の日記に、「ジェーン・バーキンはキディランドでお買いもの。夜、音響スタジオにてグリーグのペールギュントの「ソルヴェーグの歌」を管弦楽とピアノの両方で録る。久しぶりに自宅でくつろぎ『キネマ旬報』の原稿を書く」とあるが、この時のテレビCⅯの音楽で、彼女がスキャットで歌った「ソルヴェイグの歌」が、彼女が帰国したあとの1987年に、ゲンスブールの歌詞とプロデュースによって「ロスト・ソング」という新曲としてフィリップスレコードからリリースされたのだった。

 

ゲンスブールは高音部を出せないバーキンに、あえてそれを強いた。バーキンの悲鳴に似たその歌声が、この曲の悲愴味をいやがうえにも高めているが、ハンサムでインテリのドワイヨンに夢中で、間もなくゲンスブールと別れて結婚することになるバーキンに対する、サディスティックないたぶりも、ふと感じさせるような編曲である。

 

なぜか音楽の話になってしまったので続けると、私はバーキンの最初の夫、英国の作曲家ジョン・バリーの映画音楽が割と好きで、今でも「007シリーズ」や「冬のライオン」「真夜中のカーボーイ」「アウト・オブ・アフリカ」などの名曲を楽しんでいるのだが、2人の間に生まれたフォトグラファーのケイト・バリーが、2013年12月に謎の死を遂げたことは、子供思いの母親バーキンにとってとても大きな痛手だったに違いない。

 

来日中の彼女は、毎日3女のルーに、「ルー、ルー」とその名を愛しげに呼びながら、国際電話していたことを、何故か私は知っているのだ。

 

   広辞苑の隣に並べて「柔らかき建築物」として楽しむ詩集 蝶人

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