あまでうす日記

あなたのために毎日お届けする映画、本、音楽、短歌、俳句、狂歌、美術、ふぁっちょん、詩とエッセイの花束です。

齋藤寛著「歌集 アルゴン」(六花書林刊)を読んで

2023-07-10 09:52:07 | Weblog

 

照る日曇る日 第1922回

 

いつぽんの樹でありしころ真裸のひとに抱かれし たれにも言はず

 

 巻頭に置かれ、著者の本質をあえて告知しているようなこの1首の謎を、ぐあん

 ばって解き明かそうとしたが、ついに出来なかった。

 

声挙げて哭く赤子なり人間の身体の芯にその赤子をり

 

 人間存在の原核を、真正面から真っ向竹割りにした大胆不敵な1首。

 

キミガアヨオ/ヨオ/ヨオ 粉を吹くSP盤以て日の丸を揚ぐ

 

 一読思わず呵呵大笑の痛快歌だが、よく調べると技巧の限りが尽くされている。

 

うすぎぬの眠さ そののちビロードの眠さ そののち冥きへ墜ちぬ

 

 眠りの中で生から死、聖なる母胎へと溶解していく自我は性のヴェールに包まれ

 ているようにも見える。

 

「殴る時肌と肌とが触れ合ふわそれもエロスよ」姉断言す

 

 この謎めいた掌編小説のような趣のある歌集にあって、もっとも謎めいて、もっ

 とも生々しく官能的な存在が作者の姉と思しき人物である。おしかすると巻頭歌

 の「真裸のひと」はこの女性ではないかと、これはおらっちの不敬なる妄想。

 

短歌とは厄介者の子守唄、だらうか雨はほどなく止まむ

 

 本書の末尾に据えられた、これまた謎のような1首だが、恐らく作者はみずから

 を人世の厄介者と考えているのだろう。作者にとって短歌とは、人世のみならず、

 自分自身にとっても厄介な自分という存在をあやしてくれる、自作自演の子守唄。 

 人世を共にするパルスのような律動なのだろう。

 

   誰かれの見境なしに吠える犬あれもある種の障碍者なるか 蝶人

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする