照る日曇る日 第1929回
南雲中将指揮下の第1機動部隊の兵装が、ミッドウェイ基地→米艦隊→基地へと2転3転し、航空母艦の艦上と格納庫がごったがえしていた「運命の5分間」!
突如雲間から急降下した米機の爆撃によって、あっという間に「赤城」「加賀」「蒼龍」が大爆発、大火災を起こして戦闘不能になり後に沈没、残る「飛龍」も敵空母「ホーネット」を撃沈したものの自沈、海軍の虎の子の空母4隻他を失い、貴重な戦闘員3056名が落命したこの海戦が、半年前の真珠湾攻撃の戦果を帳消しにするどころか、日米戦争の勝敗を決する結節点になったことは周知の事実である。
ところが戦史とは無縁な素人同然の澤地選手が、虚心坦懐に当時の記録を再確認していくと、「運命の5分間」などは存在せず、被弾直前の各空母の甲板に航空機の影はなく、その大半は格納庫の中で燃料満載状態で待機していたのである。そこには海戦敗北の責任を糊塗するための戦史の書き換えがある、と疑われても仕方がないだろう。
確かに急降下爆撃自体は電撃的だったろうが、それ以前に「陸を叩くのか、海を叩くのか」最初から最後まで作戦意図が分裂しており、敵空母発見の報が入っても対艦用の半分の飛行機は予め与えらえた仕事をしていなかった。
真珠湾で勝った勢いで、「敵は連動艦隊が怖いから出てこないだろう」と海軍部の作戦課長が慢心豪語しているのだから、推して知るべし。徒に敵の実力を舐めて、油断と隙があった。
「1石2鳥の両備え」がまるで機能していなかった。空母4対3の優位を生かす道を、自らが閉じていたも同然である。
4空母喪失の責任は南雲司令官、誤った命令で2隻の重巡を犠牲にした責任は山本五十六にあるとする著者の断罪は、理の当然であるが、彼らの責任は、ついに問われることはなかった。
もっとも、もしもこれらの問題点がなく、連合艦隊が真珠湾に続いてミッドウェイで大勝して米空母を全滅させていたら、日本軍の敗北の時期が実際よりも、さらに遅れて、実際よりもさらに甚大な被害が出ていた可能性が大なので、そこはなんともいえないのだが。
コウ君がもしやまゆり園にいたならばやっぱり彼奴に殺されてたか 蝶人