照る日曇る日 第2114回
晩年に差し掛かった著者がこれまでの膨大な読書歴を総括するように、本邦を代表する重要著作の勘所を取り出して、逐語訳と解説を施した興味深いセレクションである。
ある意味で似通った構想で書かれた長谷川宏の「日本精神史」という大著があるが、これを東海道53次など日本列島の表街道を、高速移動しながらその多角的な様相を通覧しつつ浮き彫りにする壮大な試みとすれば、本書は、その裏街道に奥深く沈潜し、強靭な地下茎を手刀で切断しながら匍匐前進し、克ち得た珠玉を賞玩する地下からのレポートとでもいうべきか。
例えば世阿弥の「風姿花伝」について、著者は以下のように総括する。
「実際に体験し、体験を内省化してきた者にしか書けないことが書かれていて、芸の哲学、思想談議になっている。わたしにはこういう形が日本の思想や哲学の在り方でこれに比べると明治以降の抽象的な哲学書や思想書は今も日本語に根付いていない気がする」
大江匡房の「傀儡子記」「遊女記」から始まり、藤原定家の「毎月抄」、聖徳太子の「十七条の憲法」や「御成敗式目」、「一遍上人語録」などを経て、出口王仁三郎の「弥勒の世について」、中山みきの「おふでさき」に終わる66篇の断層を通読する楽しみは、他の何物にも代えがたい貴重な体験である。
神さんがどっかにおるならイスラエルあの殺人鬼を始末しなはれ 蝶人