吉本隆明全集35「藤井東先生のことその他」を読んで
照る日曇る日 第2122回
全集の最後は毎度おなじみの雑文アラカルトだが、この落ち穂拾いがなかなか楽しい。吉本選手の人格と自立的思想形成の基になったのは学校教育ではなく、地元の塾だったことはよく知られているが、それが当世風の学習塾ではなく藤井東のような魅力的な先生であったことはふかく頷ける。いまどきそんな教師が日本のどこかに一人でもいればよいのだが。
学生時代の作者が、太宰の「春の枯葉」というレーゼドラマを学生芝居で上演する許可をもらうと称して、ただ一度だけ太宰治と出会った時の会話を採録しておこう。
太宰「学校は面白いか」
吉本「面白くありません」
太宰「おれも小説を読んでも面白くねえ。おれがお前なら、今、闇のかつぎ屋をやるな」
吉本「太宰さんは今重くないですか」
太宰「重いさ。だけどお前、男の本質は何だか知っているか」
吉本「判りません」
太宰「マザーシップだよ。お前無精ひげなど剃れ」
太宰治は、国電三鷹駅通りの屋台のうなぎ屋のおやじの椅子に腰かけ、吉本は客側の椅子に腰かけながらの会話である。
太宰「お前、おれの『春の枯葉』など自由にやればいい。あのなかで『あなたじゃないのよ。あなたじゃない。あなたを待っていたのじゃない』という「あなた」は占領軍だよ」
酔客「先生ご機嫌ですね」
そのあと2人は、小さな酒場へ行ったそうだが、尊敬する作家に、「お前」と呼ばれてさぞやうれしかっただろう吉本は、こう思う。
「『右大臣実朝』で実朝が語る「平家は明るい。明るいのは滅びの姿だ。人も家も暗いうちは、まだ亡びない」という意味が蘇った。太宰治が負の十字架を背負っているという意味と共に」
賑やかな人々次々旅立ってこの世はめっきり寂しくなった 蝶人