照る日曇る日 第2120回
2006年3月に光文社から出された吉本流の「対幻想」家庭論である。
太宰の有名な「家庭の幸福は諸悪のもと」への感銘と違和感の表明から始まって、彼の区分による各中間段階に「移行期」を挟んだ「乳児期」、「幼児期」、「少年少女期」、「前思春期」、「思春期」、「成人期」、「老年期」それぞれの特性と解説が施されるが、「「性格形成の大半は幼児期までに決まるが、子育てで一番重要なのは胎児期を含めた乳児期と少年少女期から前思春期」、「少年少女期は遊びがすべてである」とか、それほど予想外の新事実や新思想が書かれているわけではない。
むしろ私は、本論からおのずから脱線するようにして書かれた、著者の挿話のほうに惹かれる。
それは例えば、「わたしは自分をなだめるようにして詩や散文を書いてきた経験がある。はじめから「自己慰安」なしに読者を乗せようとする企てが見える作品は長持ちしない」とか、
「柳田國男は、乳幼児期から少年少女期のあいだに「軒遊び」の時期を設定している」とか。
自分は子供をよく遊ばせたと自負していたら、当の子供から「公園で遊ばせてくれたっていうけどさ、遊んでもらった覚えはないよ」と言われてびっくりした。とか、
漱石の「こころ」における主人公と親友とは同性愛だったので、裏切られた親友は自殺し、それを苦にしていた主人公も後追い自殺をしたのではないか。とか、
江藤淳の「漱石とその時代第5部」の余りにも有名な鏡子夫人による夫殺しの挿話。とか、
自分は俗謡をかなり知っていて、「此処は京都か大阪町か/大阪町なら兄妹心中/兄は三十一その名は順三/妹十九でその名はお清/兄の順三は妹に恋し/恋し恋しで病となりぬ……」という「兄妹心中」の歌を死んだ中上健次と一緒にうたったこともある。
とか、とかとんとん。
徒に馬齢を重ね駄馬駄馬駄 蝶人