音楽千夜一夜 第496回
7日間のパスを貰ったので、7日間あれこれ見聞きしたが、なかなかに面白かった。
このコンビ、こないだの来日公演では、モザールの29番、ベルクの3つの小品、ブラームスの4番を演奏して、非常に高い評価を受けたが、ここ数年のその他の定期の演奏も、それにおさおさ劣るものではない。
独欧系の管弦楽曲や近現代作品もさることながら、今回小生が堪能したのはオペラで、例えばチャイコフスキーの「マゼッパ」「イオランタ」「スペードの女王」などだった。
後者はいろんな指揮者がよく取り上げているが、ステージ演奏とはいえ「マゼッパ」や「イオランタ」の全曲をライヴで楽しめるベルリン市民が羨ましい。
叩き上げのオペラ職人、ペトレンコは、どんな長大なオペラも一瞬も退屈させない緊張感と大局観を保ちながら、随所で抒情的で感傷的なアリアを知的に歌わせて、チャイコ独特の露西亜的憂愁の世界に引き摺り込んでしまう。
オペラではR.シュトラウスの「影のない女」も素晴らしかった。
これには2023年4月1日バーデン=バーデンでのイースター音楽祭におけるリデイア・シュタイアーのジェンダー平等を先鋭的に突出させた演出付の舞台映像と、その2週間後の「普通の」演奏会形式によるものとの2種類があるが、私は断然後者に軍配を上げる。
同じ指揮者と出演者、オーケストラによる傑出した演奏とはいえ、台本にない子供を強引に主役にでっちあげた奇妙奇天烈な演出が、いかにR.シュトラウスの本来の音楽鑑賞の妨げになっているかは、両者を見比べてみれば一目瞭然だろう。
最近わが国でも二期会「影のない女」のコンヴィチュニー演出が話題になっているようだが、手前勝手な解釈で古典音楽をずたずたに切り裂く演出家は、どこかの政党と同様、心ある視聴者から忌避され、遠からず消えてなくなるだろう。
ともあれ当代一の指揮者とオーケストラがその音楽的力量と再現芸術への熱情を注ぎ込んだ名演奏の数々を、書斎で居ながらにして満喫できるとは、すでに両足を棺桶に突き入れた老人にとってこの世に残された至上の快楽のひとつだろう。
福島をすべて忘れて十月尽 蝶人
一億が右翼となるや神無月 蝶人