こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

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ネットワーク依存症 3 はじめはメールだった

2012年02月06日 | 電脳化社会
電子メールをいつから使っていたか、忘れてしまうほどあたりまえになっている。
私は、医者になってからしばらく経ってからだったが、若い人は、物心ついたときにはすでにあるわけだ。従って、゛はじめは゛という表現はいささか年寄りじみている。
しかしながら、インターネット依存のプロトタイプはメールだったと思う。


今の職場の前の前の職場でもメールは使っていたので、すくなくとも12、3年以上前から使っていたことになる。
その直前は、ポケベルで、急速な勢いで文字表示ができるようになったのを覚えている。


さて、そのメール。

今では、それほど長々としたメールを打つことは無くなったが、デスクトップPCで打てるようになった頃は、ずいぶん長いメールを感情に任せて打っていた。

一方通行

メールを打っている間、反論されることが無いので、自分は絶対に正しい。
あとになって、相手がどんな返事をしてくるかなんて、一切考えない。
悪いことに、相手は見知った人間なので、自分の想定範囲内の行動しかしないはずと思うので、好き勝手にメールを打つことになるし、相手に対して根拠も無く上から目線になるようなこともしばしばあった。

この、一方通行的なメールを打つこと、これがネットワーク依存症のきっかけとなるように思える。

打っている間の刹那にせよ感じる全能感。相手を支配下においているかのような錯覚。

結局のところ、メールに限らず、ブログにしても、ホームページにしても、情報発信は双方向性であるにも関わらず、発信する時点では一方通行的なものである。
一対一か一対多かの違いにしかすぎない。
いずれにしても、受け手は自分とは別の人格であり、どのようなリアクションがくるかなど全くわからない。

一対多のブログ、受け止め方は、読者各人各様である。どう受け止めて欲しいかなど、私が決めることではない。

ならば、なぜ、ブログをやっているのか?ともなろうが、私は、その理由を今のところ上手く説明することができない。
ひょとすると、依存症の状態にあるのかもしれない。

さいわい、メールは仕事とか、単なる連絡でしか使わなくなり、相手を非難する、指導する、といったようなやり取りはしなくなったように思う。これは年を取って、落ち着いたということもあるかもしれないし、こんきも、であれこれ書かせていただいているからかもしれない。
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