スマホの登場を待つまでもなく、携帯ですでに始まっていたが、”どこでも、いつでも”ネットに接続できるようになった。
私は、永らく携帯のみに固執し、目の前の人が着信と同時にメールに目をやり、返事を打ち始めるのがとても嫌だった。
なぜって、目の前の人をそこに待たせておいて自分の用事を済ませるなんて、ひどい話で、それなら、こっちを解放してくれ、と言いたかった。
そうではあったが、緊急時、災害時のために必要だからということで、携帯を持つことになった。
そして、去年、ついにスマホユーザーとなった。
確かに便利。PCと同等というか、電話ができて、写真が撮れるということでは、PC以上の機能と言える。まあ、電池の減りが恐ろしいほど早いのには閉口するが。
これほど便利、というか使い勝手(ユーザーインターフェース)がよくなれば、誰しも手放さなくなる。機械への依存。
さて、電車で座っているひとをみると、12人掛けのシート中、6人が携帯またはスマホ、1,2人がゲーム、同様に1,2人が読書、残り1人か2人は何もしていない。
本や雑誌が携帯、スマホ、ゲームに変わったというのとは、ちょっと違う気がする。
かつて歩きながら、本や雑誌を読んでいる人はいるにはいたが、電子機器をいじっている人のほうがどう見ても多い。画面が明るくて、視認性がよいということもあるかもしれないが、手放せない、いじっていたい、そんなことになってきている。
そういう人が増えるということは、周りを気にしないで自分のことばかりしている人が増えるということでもある。
インターネット依存、ということで考えを進めてきたが、これらの機器、現象をどう捉えていいのか、残念ながら、わからなくなってきた。IT産業にかかわる人は、新たなビジネスチャンスへ向けて、日々努力して、少しでもよい機器、よいソフトの開発を行っている。
インターネットにおける進歩ももちろんそうだ。
もう、一個人(コロ健)の考えの及ぶ範囲をはるかに超えていることは間違いない。

