こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

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よりよく生きるにはどうしたらいい?

パワーハラスメントと指導と応援・・・もっとコミュニケーション教育を

2012年02月11日 | 日々思うこと、考えること
先日、パワハラについての定義が厚生労働省から発表された。
「同じ職場で働く者に対し、職務上の地位や人間関係などの優位性を背景に、業務の適正な範囲を超えて精神的・身体的な苦痛を与えたり、職場環境を悪化させたりする行為」
世の上司、先輩という人たちで、こういった行為を一度たりともしたことがないといえる人は果たしてどれほどいるだろうか。
私がこれまでお世話になった上司、先輩でこういったことがなかった人、というのもごく少数だ(そういう人が、いるというのは事実)。

それも当たり前だ。医者のような技術者であれば、上司、先輩というもの、自分がやってきたことを部下、後輩に伝承しようと指導する。論文の一つでも出させようと応援もする。
このような状況で、指導、応援を受けるほうがハラスメントと感じないことが一切ないとは言えない。受け止める方はいろいろいる。
難しい問題だ。

指導なり応援が上手にできる人(「人間をみて、指導する」)はいい、ところがこういったことが上手にできない人というのも多い。少なくとも日本の学校では、こういったことを教えてはくれない。

コミュニケーション能力の欠如。
高学歴イコール素晴らしい人間、という図式が定着しつつある日本では、芸術、スポーツなどの才能の無い大多数の子供は勉強するしかない。人間、勉強するのが悪いわけではないが、度が過ぎると悪いことも起こってくる。
受験勉強ばかりだとこういった能力を高めている暇はない。
でも、そういう生い立ちの子も、大人になってやがては職業に就く。そうなったとき、急に上手に部下、後輩を指導しろと言われても、おいそれとはできない。

私がそうだ。
私の場合、人とのコミュニケーションなど勉強したことなどない。
さらに、男子校。
中学受験で多少苦労して入ったところは6年間男だけ。似たような家庭環境の野郎しかいないなかで勉強漬けの思春期を過ごす。ついでに言うと、女性のことなどわからない。なにがセクハラか、感覚的にわかない。
コミュニケーション能力が足りないまま、大人になってしまった。

どう考えても、日本の教育行政はうまくいっていない。
教育と労働は、一つの延長線上にあるものだ。文部科学省と厚生労働省、もうちょっと連携して上手くやってもらえないだろうか。

東大が、秋入学を検討しているようで、入試が終わってからの半年間を人間的な成長のための勉強に充てる時間にして欲しいそうだ。上記の私の感想もあながち外れてはいないだろう。
医学部も是非ともそうして欲しい。

だが、日本の中高一貫教育校に苦労して入って、苦労して勉強して、やっとこさ東大に入って、人間勉強なんて・・・するわけないように思う。
ふつう、遊ぶ。
それでも、失われた9年間(小学校3年+中高6年)を取り戻す半年を考えているのであれば、そこにコミュニケーション教育を是非取り入れてほしい。

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簡単過ぎる仕事、私生活介入もパワハラ…厚労省
読売新聞2012年1月30日(月)23:09
 職場でのいじめや嫌がらせについて議論する厚生労働省の作業部会は30日、職場でのパワーハラスメントの定義を明確化する報告書をまとめた。
 同省が職場のパワハラを定義づけるのは初めて。企業などに予防・解決のための指針作りや相談窓口の設置などを求めた。
 報告書では、職場のパワハラを「同じ職場で働く者に対し、職務上の地位や人間関係などの優位性を背景に、業務の適正な範囲を超えて精神的・身体的な苦痛を与えたり、職場環境を悪化させたりする行為」と定義。上司から部下への行為だけでなく、同僚同士や部下から上司への行為も含まれるとした。労働相談などに、年上の部下や、高いパソコン技能を持つ部下からの嫌がらせに関する内容があったことを踏まえたという。
 さらに、〈1〉暴行など「身体的な攻撃」〈2〉暴言など「精神的な攻撃」〈3〉無視など「人間関係からの切り離し」〈4〉実行不可能な仕事の強制など「過大な要求」〈5〉能力とかけ離れた難易度の低い仕事を命じるなど「過小な要求」〈6〉私的なことに過度に立ち入る「個の侵害」――を職場のパワハラの類型として示した。