こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

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病理医になるための勉強・・・上

2012年02月18日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
学問に王道無し、というが、比較的正しい筋道というかそういったものはどの学問にもある。
小学校の勉強を飛ばして中学校の勉強をすることができないように、病理学の勉強にもそれなりの道がある。ただ、病理学の定義については、日本の病理医の間でいろいろとくだらない論争があるので、ここでは、ATGCの抜け、欠け、マウスの組織、スポットの色の濃さの解釈などの技術は除き、人体病理学について考える。

私の場合、母校の病理学教室の当時助教授だった先生に弟子入りしようと思っていのだが、助教授に弟子入りというわけにもいかず、先生の出身教室を紹介され、そこの大学の大学院に入ることになった。
大学院といっても、校舎があるわけではなく病理学教室の一員として一人前の病理医になるための業務と学位のために研究に励むことになる。
前者の病理医となるのには、3つの重要なプロセスがあるように思う。
一つは剖検(病理解剖)。
何例経験しても未だまともな剖検診断書を書くことができないでいるが、とにかく、極端なことを言えば、ご遺体からは頭の先から足の先までの臓器がとられ(実際のところほとんどは胸部、腹部の臓器)、それをすべて顕微鏡用の標本にして診断する。とてつもない量の情報が臓器、標本に含まれていて、剖検のときにわからなかったことを明らかにするために、顕微鏡で詳しく調べるはずが、わからなくなるところが別なところから出てくるということもしばしばだ。そして、指導教官に何度も突き返され、呆然として、それからまた、足りないところを診断して。繰り返し、標本を診るのだが、標本はそれ自体が一体なんなのかは教えてくれない。病理医がそこから読み取るしか方法は無い。それでも、数ヶ月かけて、やっとこさ剖検診断書を書き上げると、とても嬉しい。
二番目は外科病理診断の下書き。
病院病理部で患者さんからとられた、生検、手術材料を診て、診断書の下書きをひたすらする。いまでは、PCで上書きされてしまうが、昔は上司が苦労して書き上げた診断書が真っ赤になるほど朱をいれて、訂正してくれる(これがあるから、先輩病理医が輝いて見える)。それをまた書き直して、診断書が完成する。それを、半年から1年やる。
三番目は講義の手伝い(および講義)。
学生時代、病理学が大好きではなかった私(病理医になろうと思ったのは6年生の時)としては、病理実習で(優秀な)学生さんから、とても根源的な質問を受け立ち往生するたびに復習し、教授のスライド係をしながら復習し、ということの繰り返しだった。知識の整理のため、とても良い経験であった。残念ながら、ティーチングスタッフになる前に教室を出されてしまったので、講義のための勉強は経験することができなかったのが、心残りである。
その代わりと言ってはなんだが、CPC、カンファレンスなどでなるべく勉強することで臨床医に指導、講義することで代用している。

この3つのプロセス、三つ目は「人に教えることが、最も効率の良い学び」ということで、どの学問にも共通していることだが、これらを経験することが、一人前の病理医になるための必須条件である。

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