こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

いつも歩く道にある灰皿

2012年02月28日 | いじめ飲酒とタバコとギャンブル
都内の駅から病院までの往復を朝晩歩くが、その間に灰皿が少なくとも4カ所ある。
駅のまわりに喫煙所はなく(鎌倉は裏駅に未だ喫煙所がある!)、駅から少し離れたところにそれらはひっそりある。

それもタバコの自販機の裏。タバコの自販機と灰皿はワンセット。抱き合わせ販売だ。
さて、朝、ここを通り過ぎるとき、人の姿は無いのに、煙だけが漂ってくることが多い。「ああ、今朝も誰か吸っているのか」と思いながら、横を通り過ぎる。自販機の裏に隠れるようにして吸っている同世代の人がチラッと見える。恥ずかしいのだろうか。恥ずかしいのなら、吸わなければ良い。惨めなら吸わなければ良い。それで死ぬことは無い。誰にも責められもしない。
と、惨めになって、タバコをやめた身としては、そう言ってあげたい。

この灰皿は例のコンビニの前。

最近、一時ほどの人数ではないが、それでも気持ち良さそうに吸っている人は必ずいる。この灰皿を目指して周囲から歩いてくる人も多い。ある意味『道の駅』ならぬ『タバコの駅』。
「あなたは、ここで吸わなくても、いや、ずーっと吸わなくても、大丈夫、タバコ無しでも生きていけますよ」と、心の中でつぶやきながら、横を通り過ぎる。

駅に一番近いこの自販機+灰皿では、夜、帰りによくタバコを吸っている人を見かける。
朝は人通りが多いのと、喫煙者本人も急いでいて一服するわけにもいかないのだろう。

先日、この横を通り過ぎたときに、ママチャリで買いにきているお母さんがいて、チャイルドシートに座っている4,5歳の女の子に「なに買っているの?」と尋ねられ、「大人になったらね、吸っていいものなの」と返答していた。

「私の一本目のタバコは親のタバコを盗んだものだった」と、言いたかったが、ぐっとこらえた。
ママチャリのシートに座っていたあの女の子が将来ニコチン中毒にならないことを祈る。

ところで、病院脇の公園の喫煙所(考えてみると、灰皿が置いてあるだけで、”喫煙所”ではない)。以前はAEDの看板の前にあることが、滑稽でならなかった。


プレーの合間に一服するテニスプレーヤーがいて、横を通るたびに閉口していたのだが、2月いっぱいで撤去するとのこと。久々の朗報。

大丈夫、タバコを吸わなくても、テニスは下手になりませんよ。
学生時代、バスケをやっていたときに体育館の前でさんざんタバコを吸っていた人間としては、確信を持っていえる。タバコでスポーツは上達しない。
タバコを吸ってもテニスは上手になりませんよ。まあ、テニスよりタバコの方が大事では、かける言葉もない。

タバコが無くても、何も変わらない。だから、以前のタバコ無しの生活に戻ってみたらどうだろう。あの頃、タバコが無くても、あなたは生きていられたのだから。

タバコがいらなくなったのに、相変わらず、タバコの自販機と灰皿の場所はしっかり頭に入っている。悲しいが、未だニコチン中毒から離脱できていないということか。

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへ