不肖、コロ健、美人には弱い。これは、私に限った話ではなく、洋の東西を問わず、人間だれしも美男美女に弱いというのは、一般的なことだろう。
美人をめぐるいろいろな小説、評論も数多く出ているが、それらを読んでもなぜかはよくわからない。
しかしながら、最近気が付いたことが一つある。
仕事の上では、美人には弱くはない。人の命のかかっていることだから、当然なのだが、仕事上妥協は許されない。
でも、医療ドラマには美人女医、ハンサムな男性医師、といったものが、あたかも仕事ができるように登場するし、ちょっと意地の悪い医者の役回りでカッコいいのは、『振り返れば奴がいる』での織田裕二以外見たことがない。
医療に限らず仕事の上では、容姿を気にすることはない(ハズだ)。
では、生きていくうえではどうか?
ドラマや映画の主人公は、たいがい若く眉目秀麗である。
もちろん、映画マトリックスの中でキアヌ・リーブス演じるネオが、ローレンス・フィッシュバーン演じるモーフィアスによってゼロから成長していくという話もあるが、一般に美男子、美女は最初から能力が高いようなドラマ、映画がほとんどだ(まあ、ネオもちょっとしたら、すぐに救世主になっていたし、最後は空を飛んでいたわけで…)。
特に広告なんかその傾向は顕著だ。私がこのことを最初に感じたのも電車の中の映像広告をみてのことだ。
なんだか、美女に勧められるとその品物がよさそうに見えてしまうから不思議だ。
結婚詐欺師、美人局の言葉を出すまでもなく、古今、美しさを利用した悪事もなくならない。男性から見て美人が悪いというわけではなく、そういったものに引っかからない、というか、外見の美しさというものに、惑わされないにはどう考えればよいか。
ここで、仕事上のことを思い出せばいい。医者に限らず、いくら、ハンサムであろうと、美人であろうと、能力の有無は容姿には関係ない。
したがって、仕事のパートナー、人生のパートナーを選ぶとき、容姿で選んではいけない。パートナー候補の人をじっくり吟味し、よく考えて選ばなくてはいけない。
人は、人間性が一番。くれぐれも、見た目だけで飛びついてはいけない。
容姿だけで選ばれたほうも、考えてみれば気の毒な話だ。
だけど、そうはいっても…うーん、いくら考えてもよくわからない。