ある日、妻に
「愛することの反対は何か知っている?」と尋ねられた。
一体何のことか分からなかったが、とりあえず、「愛憎」という言葉があるから、
「憎む。かな?」と答えた。
「違うの、今日ラジオで聞いたんだけど、憎む、ではないのよ」
「じゃ、嫌う?」
「違うの」
「うーん、嫌がる、あ、これは嫌うと同じようなものか」
では、なんだろう?
「・・・」
「愛することの反対は、無関心、なんですって」
「無関心?」
すぐには理解できなかったが、しばし考えてみて、得心がいった。
「無関心。なるほどね。」
男女のあいだに、愛が始まるときというもの、どちらかが相手に関心を持つことから始まる。
それが、相手の容姿、職業、運動能力、趣味、家柄・・・、様々なことがきっかけとなって相手に関心を持つようになる。
そして、それが、愛情に変わる。
結婚については各人の社会的な問題があって一概に是非を言うことは難しいが、とにかく、愛し合った二人は愛を持続させることになる。
愛の持続、それは換言すれば、相手に関心を持ち続けることである。
ときに、意見が合わず、喧嘩だの仲違いだのといったことにもなろうが、それでも二人がお互い関心を持ち続ける限りは、その時の感情は憎しみであり、嫌悪である。
愛憎半ば。嫌いは好きの裏返し。
ところが、相手に関心が無くなるということは、愛情の消失を意味する。
愛情の上に成り立っていると考えられる夫婦関係などは互いが無関心になったら成立しない。興味のわかない人間と一緒に暮らしても何ら楽しいことは無い。
仮面夫婦とでもいうか、それぞれが別々の世界を持って、生活の場だけ一緒、というカップルもあっていいのかもしれないが、それはお互いにとって、つらかろう。
それにしても、一体、何故、妻はこんな質問を私に投げかけたのだろう???
ただ、ラジオを聞いていて、そんなことが流れたから?
そもそも、ラジオを本当に聞いたのか?この間、うわのそらで返事をしたのがいけなかったのか?
まずは、そちらの方の理由を知りたい。
コロ健、妻に対してはまだ関心がある。
「愛することの反対は何か知っている?」と尋ねられた。
一体何のことか分からなかったが、とりあえず、「愛憎」という言葉があるから、
「憎む。かな?」と答えた。
「違うの、今日ラジオで聞いたんだけど、憎む、ではないのよ」
「じゃ、嫌う?」
「違うの」
「うーん、嫌がる、あ、これは嫌うと同じようなものか」
では、なんだろう?
「・・・」
「愛することの反対は、無関心、なんですって」
「無関心?」
すぐには理解できなかったが、しばし考えてみて、得心がいった。
「無関心。なるほどね。」
男女のあいだに、愛が始まるときというもの、どちらかが相手に関心を持つことから始まる。
それが、相手の容姿、職業、運動能力、趣味、家柄・・・、様々なことがきっかけとなって相手に関心を持つようになる。
そして、それが、愛情に変わる。
結婚については各人の社会的な問題があって一概に是非を言うことは難しいが、とにかく、愛し合った二人は愛を持続させることになる。
愛の持続、それは換言すれば、相手に関心を持ち続けることである。
ときに、意見が合わず、喧嘩だの仲違いだのといったことにもなろうが、それでも二人がお互い関心を持ち続ける限りは、その時の感情は憎しみであり、嫌悪である。
愛憎半ば。嫌いは好きの裏返し。
ところが、相手に関心が無くなるということは、愛情の消失を意味する。
愛情の上に成り立っていると考えられる夫婦関係などは互いが無関心になったら成立しない。興味のわかない人間と一緒に暮らしても何ら楽しいことは無い。
仮面夫婦とでもいうか、それぞれが別々の世界を持って、生活の場だけ一緒、というカップルもあっていいのかもしれないが、それはお互いにとって、つらかろう。
それにしても、一体、何故、妻はこんな質問を私に投げかけたのだろう???
ただ、ラジオを聞いていて、そんなことが流れたから?
そもそも、ラジオを本当に聞いたのか?この間、うわのそらで返事をしたのがいけなかったのか?
まずは、そちらの方の理由を知りたい。
コロ健、妻に対してはまだ関心がある。