年をとるということを考える。
30代頃までは、四捨五入ならまだ30歳だ、もう40歳だなどといっていたけれど、50歳を過ぎるようになると、年齢という概念自体あまり感じなくなるようだ。ここ数年の私にとって、年齢は単なる通過点を示す目印であって、定年までの時間や、死ぬまでのおおよその時間を知らせてくれるようなものに過ぎなくなってきつつある。
そして、不思議なことに時間経過自体だんだんと偏って感じるようになる。たとえば、戦後の時間経過。私が生まれた1960年代というのは、戦後わずか20年であり、戦後70年となった今、終戦直後も私が生まれた1960年代もたいして差を感じない。
今年99歳で亡くなった私の祖母など、関東大震災、太平洋戦争そして東日本大震災はどのような時系列で捉えていたのだろう。
長生きはしてみるものだというが、長生きしている人にとってみれば、“長生き”というような感覚は薄れていくのではないかと思う。
子供の頃、夕焼けを見て、自分の人生に寿命などというものはなく、永遠の時間だけがあると感じていた。人の死に接するようになって、人間には寿命というものがあることを知るようになって、今の私は、ちょうど死を意識しながら日々送るようになっている。
もしかすると、この先生き続けると、これまでの人生の蓄積一つ一つが永遠の記憶の中に凝縮されていき、自分の過去は永遠だったような気になっていくのかもしれない。
いつ死ぬのかはわからないけど