最近、この国では新しい環境へと船出する人たちの将来が構造的に限界にきているのではないか、そんな社会のままでいいのか、という気がする。
強く思うのは身の回りで、立派な大人というのがどれほどいるのかということ。今や、政治家の多くは汚れてみえるし、社会的地位の高い人もその地位を高めるために大なり小なり人を出し抜いてきたにすぎないようにみえる。役人は納税者の方より、組織、政治家の方ばかりをみる。
新聞・テレビには日々、地位の高い人のスキャンダルが見出しとして並ぶ。大人というのが、こういうものだと若い人にみせつけていいわけがない。夢も希望もなくなるし、若い人はそれこそが地位、権力だと思うようになる。
潔白で、誠実で、知性があり、包容力もある。そういった人を見かけることは最近ない。子供の頃、立派な大人の人を尊敬してみていたけど、それらのひとたちにも裏表はあったのだろうか。それとも、そういう人は嫉妬されて足を引っ張られて表舞台から消えてしまうのか。
私自身、いい年なので、自分自身がそうあればいい、そうありたい、そうでなくてはいけないと思うけど、さてどうだろう。自分の気づかないところで人を出し抜き、人を貶めているかもしれない。客観的にみてそうだからと思っていても、その客観性はどこで担保されているか。人の評価は立場によってクルクル変わる。私自身への毀誉褒貶もある。適当なことをでっち上げられ足を引っ張られたこともある。
だからといって、自分自身を少なくとも自ら尊敬できる人間になることを怠ってはいけない。日々精進を重ね、新たに仲間に加わってくる社会人たちの模範となれるようになりたい。もちろん、オヤジの説教はNGである。
今日は、実習で半日ほど学生と一緒にいた。わが身を鑑みてみると指導教官として立派にしていたか、不安になる。
せめて見た目だけでも?