こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

政治家とか大臣とかの権力とはこういうものなのか

2018年04月27日 | 生き方について考える

医者になった時、自分はずっと医者になるんだと覚悟した。もし目の前で倒れた人がいたら手を尽くさねばいけないし、病院から呼び出しがあったらいつでも駆けつけることができるようにしないといけないと。病理医にしても常に臨床からのリクエストに応えることが、病気の人への手助けになると思っている。体力的にきついときもあるけど、できる限りそうしていたい。そして、他の仕事に従事している人でも、そんな風に四六時中緊張を強いられている人がいると思っていた。なかでも、代議士とか大臣になったらずっと国のことを考え、国に命を捧げるほどの覚悟を持つのだと思っていた。政治家は選挙期間中、粉骨砕身、この身を国に捧げます、みたいなことを言ってその職に就く。一生そうしていて欲しいなんて思わないけど、 その任にあるうちは災害や有事に備えて24時間緊張しているものだろう。だから、これまた”先生、先生”と呼ばれてしかるべきだと。

でも違ったようだ。この国に尊敬できる政治家とは果たしているのだろうか?私はやったことがないのでよく分からないが、しょっちゅうゴルフをしているし、夜のおつきあいも忙しいようだ。昼間だって、文部科学大臣は公務と公務の間に公用車での送り迎え付きでオイルマッサージを受けるご身分だということらしい。少なくとも庶民感覚とはずいぶん違う。忙しくてオンオフがつけられないというのかもしれないが、医者にだって厳密な意味では線引きはない。もちろんそれでは心身を壊してしまうから、強制的に勤務時間が設けられ、オンオフをつける。でも、一人病理医もそうだし、僻地医療に従事する医者はとてもそんなこと言っていられない。これに比べると、血税をバンバン使う政治家とはずいぶんと楽な仕事に見えてしまう。日々、政治家の体たらくぶりを見聞きするにつけ、一生懸命日々悩みながら生きていることがバカバカしくなってくる。でも、これが権力というもので、それを手に入れるために選挙を戦うのか。

私の周りにも、大小様々な権力者がいる。たくさんの人がそれぞれの欲望を持って、それぞれの権力者に擦り寄り利用する。この、権力者を利用する人たちが消えない限り、政治家は国民への奉仕者ではなく、弱い国民を搾取する立場の者でしかいないことになる。私も数年前に人生が変わってしまったけれど、それは小さな権力者がそれより少し大きめの権力を持っている人を利用した結果だったのだとようやくわかった。そこへ手を差し伸べてくれた人のおかげでなんとか生き延び、いまでは、ひっそり生きているけど、その時私も対抗して権力者を探すようなことをしなくてよかったと思っている。

馬鹿正直で損しても

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