不味い食べ物が無いとは言えない。なんだこれ?と思うような下手くそな料理もある。
でも、この前、あまり美味しいとはいえない鳥のから揚げを食べているときにふと思った。
これって、大切な命をいただいているんだよね。養鶏場の鶏の姿が目に浮かんだ。
それを、不味いなんて、なんて言っていいのだろうか?
人間に食べられるために生まれてきた鶏の命、もし、自分が別の生命体に食われるために生きているとしたら、その絶望感はどんなものだろう。人間は自らが他者に喰われるという思いがない。
肉、魚、野菜、穀物・・・なんでもそうだけど、私は日々命をいただきながら生きている。こんな、当たり前のことにこの50年、気がつかないで生きてきたなんて、なんたる不覚、全く情けなくなる。それでもやっぱり、日々何かをいただかなくては私は生きていけない。
このことに気がついてからも、日々私は命をいただいて生きているけど、三度三度当たり前のように食べているとそのありがたさをすぐに忘れてしまう。
”いただきます”という言葉を当たり前のように口にするけど、実際に殺される肉、網にかかった魚、大地から切り離される植物、そのことに私は思いをいたしていただろうか?
命をいただかなくては生きていけない罪深さを自覚して、日々の食事をいただく。たとえ不味いと感じても、もとは尊い命をいただいているのだからそんな言葉口にしてはいけない。あと、腐らせたり、残したりするのもいけないのも同じ理由だ。
”いただきます”に心を込めて