実際、私は女性のことなど何一つわかっちゃいない。妻の考えていることが最近少しわかってきたような気がすることがあるが、それでも急には理解できないことを言われて、そんなことは単なる幻想であったと思い知る。もちろん、妻にとってそれは急でもなんでもない、ずっと考えてきたことで、その話題を私が本筋だと思って話している途中で挟んでくる。妻にとっては、それが本筋なのに、私にはそれがわからない。だから、時として話が噛み合わなくなる。娘のことはもっとわからない。女性である上に若者だから余計にわからないのだろう。親子なので、私には多少気を使ってくれているが、いざ話してみると、そんなことを考えていたのかと驚かされる。ということで、私は最も身近な女性のことでさえ十分理解しておらず、従って女性というのがほとんどわかっていないということになる。
そんな私に言わせると、女性のことをあれこれ言う人というのは、女性の思考パターンというか、女性というものをどのぐらい理解しているのだろうか?理解して文句をつけているのであればいいのだが、そうでなければ相互理解はむずかしい。
男性目線、というのは女性のことをわかろうともせず、男社会の男の考え方を女性にも要求し、男性に迎合する女性だけを評価してしまうということではないだろうか。国会に送り込まれた女性は女性の支持も得ているが、どうして女性の支持を得ることができたのかということを考えなくてはいけない。もちろん、女性議員のみならず、職場でも地域社会でも女性の発言をよく理解するためには、まず、女性というものがどういう思考パターンをとるのかを考え、理解しなくてはいけない。それができないなら、女性のことをとやかくいうことはやめておいた方がいい。文句を言う前に自分がどれほど女性のことがわかっているのかを再点検してからでないと、男女の差はいつまでたっても埋まることなく、女性のトップ、議員の数は増えることなく、いつまでたってもこの国は良くならない。上に立つ女性が増えないとなぜいけないかというと、今の男性優位の世界がそれほど良くないからだ。女性の社会進出で世の中がどのように変わるかはわからないが、変えてみることがまず必要だ。こういうことを書くと、男性からはみすみす既得権益を女性に渡す必要はない、といわれるが、すでに世界ではそれが進められつつあり、お飾りではない実力をもった女性トップが数多く出現している。そんな女性がどこにいる?というのであれば、男女に限らず見せかけだけの人物を整理し、地位にふさわしい実力を持った女性を育成することが日本社会には必要だ。
女性目線