息子が入籍したという話を検査室の同僚の技師さんに話したら、「おめでとうございます。良い話が無い時に、そういう話があると良いですね。」とニコニコしながら祝ってくれた。私だったら、「おめでとうございます」の一言で終わらせてしまうだろうに、お祝いの言葉に、一言付け加えることができるなんて、いい人なんだなと感じた。その人はいつも私のお願いを嫌な顔一つしないで引き受けてくれ、大変助かっているのだが、それ以上に以前からネガティブなことを言わない人だなと思っていた。今度のような言い方をされ、「どうすれば、こういうことが言えるような人になれるのだろう?」と考えた。
今は、日本中いや世界中が’コロナうつ’の状態で、先が見えず、明るい話題は確かに少ない。娘の卒業式も流れてしまった。息子が入籍するのは自然の流れで、今回の新型コロナウイルス感染症は関係ない。こういうことは放っておいてもそうなるものだから、あえて一言を付け加える必要はないと思うのに、そこで自然な一言を出すことができるというのは、その人の才能ともいえる。
才能というものを、持って生まれたものと考えるか、後から獲得したものと考えるかは別として、今の私は、そういう”人をより幸せにする一言”が言えるような人になりたいと思った。
アラ還近くなって、そんなことを考えるようになったところで、遅きに失した感は免れないが、今からでもそうしたい。なぜなら今が一番若い。
そのためには、日々の生活で、心の中で舌打ちしてしまうような態度、自分の生い立ちを呪うこと、独り立ちしてからの自分の行き方を低く考えること、そんなことをやめることが必要ではないか。私はどこかで、自己愛が強く、人を上から見ているということがあるからそうなってしまうのだろう。そういうことをやめることはできないまでも、それらのことをしてしまった時に、それらを打ち消し、ポジティブに捉えるようにしたら随分変わるのではないか。自分というものは幾つになっても変えることはできる、それが今からであっても、遅くはない。幸いいいお手本が身近にいるので密かに見習いたい。
自己嫌悪には陥らない