こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

どこまでならいいかの自己判断はどこまでいいのか

2020年03月25日 | 自然災害・事故・感染症
新型コロナウイルス感染症に関する、SNS上のコメントが深刻になってきている。とくに、欧米在住の友人たちのメッセージは深刻なものが多い。そして、誰もが共通して、日本の感染対策の無防備さに警鐘を鳴らしている。

昨日はのんびり千鳥ヶ淵など歩いてしまったが、許されることだったのかどうか考えてしまった。娘を大学の近くまで迎えにいって、帰りに三人でお茶をしたがそれもどうだったか。自分では、感染に対して気を使っているつもりでも、ではどこまで人と接していいのかがわからず、判断に自信が持てない。
とはいえ、どこも人出は少なくて、商売をしている人には大打撃であろうことは明白だ。海外では、飲食業をはじめ多くの業種について休業させたり、人の移動を制限したりしているが、日本ではそれはまだまだ。政府も、そういった措置を選択枝の一つとして考えているのだろうけど、休業補償、経済損失を考えたら及び腰になってしまうのは仕方あるまい。各地の観光業も大打撃を受けている。国内観光を呼びかけているが、はたしてどこまでやっていいものか。屋外での活動に制限はないが、鎌倉などは大変な人出らしく、そうした時に生じる人の集中、交通機関の混雑といったものも無視できない。通勤にしても、こんな状況はいつまで許されるか。
東京で新型コロナウイルス感染患者数がじわじわ増え始めた。これがねずみ算式に爆発的に増え、”爆発的な感染染拡大(オーバーシュート)”となったら、医療崩壊は免れない。私の勤務先の病院もどうなるかわからない。首都封鎖(ロックダウン)も現実味を帯びてきた。様々な患者さんに対応をしなくてはいけない医療機関内での院内感染は防ぎようのないことで、情報公開は必要だが、責めたり、差別したりすることで萎縮させてはいけない。
新年度を前に、多くの組織が右往左往しているが、右へ倣えで、すべてを一斉に行うということの効率の良さを求めるよりも、感染症、自然災害といったことへの対応を考えると、多少時期がデコボコしているほうがいいのかもしれない。
今朝も電車はぎゅうぎゅう詰

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