こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

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よりよく生きるにはどうしたらいい?

LGBTQと男女比

2020年03月28日 | 愛と女性とジェンダーと
男って強い。

本当は強くなくても強がって、強そうにみせるので、女性からみたら、男は強いと見える。実際、ちょっとぐらい弱くても、大抵の女性よりは強い。
生物として生き残るために他者に対して強くなくてはいけなかったから、そうなったのだろう。
結果として人間には男の強さが大切だと思われるようになったし、そのような役割を担ってきた。
でも、文明化が進み、男が男である必要がなくなり、性別による肉体的な優位性というものがそれほど必要ではないうことがわかってきた。男の存在意義については、これまでなんども考えてきた(男は要るか、要らないか?(上)男は何のためにいる  (中)男女公平な社会を目指す (下)男女は何を成してきたか )。
まだ、しばらくの間は男は必要かもしれないが、男が強い存在である必要はなくなるに違いない。
ここのところ、男性性と女性性についてあまり考えていなかったが、先日ムロツヨシ主演の 「三浦部長、本日付けで女性になります。」というトランスジェンダーをテーマにしたドラマを観て久しぶりに考えてみた。
LGBTQはレスビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダー、クエスチョニングのことだそうだが、私が若かったころはLGだけだった。
Bは遊び人のような存在だった。
Tは、自殺した友人がそうだったのかと思うことがある。
Qはわからなかった。

LGBTQと男女比の男女比というのは男と女の人数比ではない、それぞれの人の中での男性の割合と女性の割合だ。
この人、男らしいと私が思う、男100%の人はこれまで何人か出会ったことがある。
それに比べて、男比率が低くて女性比率が高い人というのもある。
政治家なんかは男比率が高い人が多いように思うが、女性が混じっているように思える人というのもいる。
人間見た目で判断することはできないので、難しいが、誰しも男性的な部分と女性的な部分というのが混在しているに違いない。
基本的にはX染色体が優位で、男が必要だったからY染色体をもった個体が生まれて、男となった。
でも、無理やり男になったものだから、女性性というのは男の誰もが多少なりとも内包しているのではないだろうか。

そんなことをいくら考えても意味はないのかもしれないし、今や、LGBTQという考え方、すなわち、Qという、自分の性別がわからない・意図的に決めていない・決まっていない人という存在の出現そのものが答えなのかもしれない。
トランスジェンダーについては、さらに細分化されているらしいが、多分、すべての人の分だけ性自認があるに違いないだろう。
そういう意味では私自身Qなのかもしれないと思ってしまう。
嘘はいかんよ

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