神奈川県の知的障害者施設で、入所者十九人が、その元職員に寝込みを襲われて亡くなった。その事件についての裁判が行われ、犯人の元職員には死刑判決が下された。
犯人がなぜ、あんな凶行に及んでしまったのか、多くの人がその心の奥を知りたいと、様々なアプローチを試みたがうまくいかなかったようだ。それは、当然のことで、そもそも人を殺すという時点で、正常な判断能力は相当失われていて、その時の精神状態をまっとうな人間が理解することは難しい。
私に理解できないのは、どうして知的障害を持った人は生きる価値がないという考えに至ったのかだ。いくら介護を頑張っても、毎日同じことの繰り返しのように感じてしまったのかもしれない。なぜそこに障害のある人たちの中にある成長とか可能性を見出すことはできなかったのだろうか。
私の2歳下の弟はダウン症で今も元気だ。あれやこれやといろいろなことはできないが、身の回りのことはしっかりやっている。時々失敗することはあるらしいが、お袋はそのことを苦に思うことはないといっていた。弟は親父譲りなのか、絵が上手だった。最近は描かなくなったようだが、子供の頃は毎日たくさんの絵を描いていた。人物のいる絵が得意で、家族の絵から始まって高校野球のスタンドのようにたくさんの人のいる絵あまで、いろいろな絵を描いてくれた。ちょっと、抽象的すぎたが、中にはいい絵もあって、両親はそれをとても喜んでいた。養護学校を終えて、授産施設でいろいろなものを作るようになってからも、いいものができると両親は喜んでいた。もちろん私も。
障害があるといっても、そこには成長があり、可能性がある。健常とされる人の一歩分を進むのに、10年、20年かかるかもしれない。それでも、少しずつ進んでいる。そのように考えたら、意味がないなどとは思えない。
犯人のいうことにはほんの少しの理もないが、そんなことを考える人が障害を持った人の近くにいたことが不幸だった。絶望したのだったら、そこから立ち去り、2度と戻ってこないで欲しかった。
安らかに