こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

中国の方がよほど国民の命を守っているとなると悔しいが

2021年01月08日 | 生き方について考える
今朝は車載温度計が0度を指していた。駅まで冷たいハンドルを握ってくれている妻には悪いがしっかり手袋をしていなくては震えてしまう。今日は日差しがあっても気温は上がらないので、洗濯物の乾きも悪いだろう、そんなことを天気予報で言っていた。去年からこれまで季節がとてもはっきりしていて、これは新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の流行による人類の生活様式の変容に伴うものかとさえ思ってしまう。

成人式を前に、昨日首都圏に緊急事態宣言が出された。関西圏も早晩出されるようだ。晴れ着姿でたのしく集まりたいというささやかな願いを持っている成人式を控えた若者には気の毒な話だが、感染しても軽症ですむとわかっている元気な若者が集まったら当然クラスターを発生させるので、成人式前の発出というのは致し方ない。ただ、私なんぞが心配せずとも、彼らはそれなりに各地の公民館の前に集まるだろうし、そのあとには飲み会にもなるだろうから、結局のところある程度の感染拡大を見込んでおく必要がある。

年末の忘年会で感染が拡大したというニュースが流れてきている。芸能人がカウントダウンパーティーだの鍋パーティーを開いたとか、政治家の会食の話を聞くとうんざりするも。”皆さん意識が高い人ばかりだから大丈夫”、などと強弁している正常性バイアスにとらわれた発言をしている人もいるらしいが、いざ2週間後にご本人たちが感染したらやっぱり医者にかかるだろうにと考えると残念だ。忘年会クラスター、クリパクラスターに引き続いての新年会クラスター、そして成人式クラスターで、新規感染者数はこのままどんどん増えていくに違いない。それが日本人の民度だ。

そんなことを言っていて、私が感染したらどうしよう。すぐに入院することはできないだろうから、まずは自宅療養。こんきも(このブログ)にそのことを書くと私のことを知っている人にまで迷惑が及ぶから、そうそうあからさまにも書けない。”しばらくお休みします”とでもするか。そうしたら、”ははあ、コロ健ついに悪運尽きたか”くらいに思っていただきたい。無事生還できたら、”色々あってしばらく休んでいましたが”などと書いて再開するか。こんなことを考えてしまうのも、もうどこで感染してもおかしくない状況で、SARS-Cov-2から完全に逃げ切ることはできないかもしれないと弱気になってきているせい。

そんなことを考えていたら、新型コロナウイルス(COVID-19)の感染コントロールに成功した中国のことが頭に浮かんだ。不幸にして新型コロナ感染発祥の地となってしまって世界中の顰蹙を買っているが、その後の徹底した感染対策により封じ込めに成功している。それはもちろん徹底した監視によるもので、もし感染者がでたらモグラ叩きのごとく抑え込んでいるようだ。クラスター潰しができるのは監視の賜物といえるだろう。これで中国製のワクチンが効けば、何事もなかったかのようになってしまうかもしれない。この前、新年を迎えた武漢の様子をテレビで見たが、みなさんけっこう楽しそうにみえた。一方で、人権を尊重しているように見える民主主義国家は自制が効かずに多くの死者を出し、いまだにロックダウンの繰り返しで、インタビューでは悲痛なことばかり聞こえてくる。もちろん日本もそうだ。中国が人権を抑圧しているというが、そんな国のほうがよほど死者が少なく、国民の命を守っているということになると悔しい。だが、こうなってくるとそこに生きる国民にとって、人権か命か一体どちらのほうが大切なのかよくわからなくなってしまう。
これもまたマトリックスの世界

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