誰もが春の訪れを感じ始めている今日この頃。やっぱり季節の変わり目がはっきりしていると思う。今年は立春が2月3日で、節分が2月2日になるということだそうだが、恵方巻きの発売もそれに合わせるのか。
職場で同僚と一緒に昼食を食べることができなくなってずいぶん経つ。新型コロナウイルス感染症(COVID-19)が広がりだした頃はまさかそんなことでクラスターが起こるなんてわかっていなかったから、病院職員用の休憩室でホッとしたところで随分感染が広がってしまった。今や、昼は医局の各自の机で黙って食べている。電子カルテの前でむしゃむしゃやりながらなんて猛者もいたがそれも今は昔。自分のデスクがある医者は恵まれているが、病院ではそうでない人のほうがよほど多い。私の施設ではこれまでお昼を食べていたところにアクリルのパーテーションを置いて、さらには会話厳禁。病院としてはお昼を食べてもらうことができるように講堂を解放している。みなさんソーシャルディスタンスをとった上で、利用しているようだ。
それにしても医療従事者が会食厳禁で頑張っているのに、政治家、高級官僚は平気の平左で全く参る。あの人たち、何をやって生きてきたのだろう。
それはさておき、私ははじめ、このようなお昼の食べ方を”孤”食と書くのだと思っていたが、どうやら”個”食が正しそう。そりゃそうだろう、孤独にというよりは個々人でと言った方がよほどいい。
食事を食べる時、どのぐらいの人数で食べたいかというと人それぞれ好みがありそうだ。学生時代から、”おい、昼飯行かねー?”と誘ってくる奴が必ず何人かいた。私は、1人飯・・・駅の立ち食いそば、のようなスタンド飲食店を利用することに抵抗がなかったので、個食は平気だったが、誘われたら喜んでついていくタイプだった。麻雀をやりながら、近所の定食屋の出前を取って食べたのもよく覚えている。勝ったか負けたかは全く覚えていないが、メニューはおぼろげながらいまでも思い出す。これも、ある意味”会食”だったからだろうか。社会人になってからも会食が好きな先輩と一緒に昼に行った。いつの間にか私が引き連れて、なんてことになっていた。昼食の時ぐらいしか世間話ができないから、という理由だったが、あれは押し付けになっていたかもしれないと今では思う。
”食事”という、他の生き物の命を戴く行為は、神聖なものでなくてはならない。鳥や豚牛、魚、そして野菜、コメ。命の限り成長してきたそれぞれを粗末にしてはいけないどころか、大切にありがたく我が命に移さなくてはならない。だとすれば、一食一食をありがたく感謝の念をもって過ごすべきだ。何人かで”これ美味しい”と言いながら食べること、食事の思い出を忘れ難くすること、それは1人よりも複数人で経験する方が効果的であるに違いない。そういう意味ではそれぞれの会食の時を覚えていることのできない個食は残念だ。
もちろん、1人での食事というのも悪くはない。いただいているものをしっかり噛んで、しっかり味わうようになった。消化は良くなったし、命のありがたみも以前より感じる。どちらかといえば人付き合いがあまり好きでない人間としては人とのタイミングを測る必要もなくなり、楽といえば楽だ。
宴会とか幹事という言葉は死語になってしまうかもしれない。
人と人とが繋がる距離とは
COVID-19 による症状
最もよくある症状:
・発熱
・空咳
・倦怠感
時折みられる症状:
・痛み
・喉の痛み
・下痢
・結膜炎
・頭痛
・味覚または嗅覚の消失
・皮膚の発疹、または手足の指の変色