こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

今年のボジョレーヌーボーは・・・

2010年11月19日 | 家族のこと
今年もボジョレーヌーボーの季節になった。
忘年会の案内もちらほら来るようになって、いよいよ年の瀬、という感じだ。
家内も、きのう樅の木のリースを作ったということで、その前にボジョレーヌーボーをおいて、パチリ。

デキャンターに移してから、軽く冷蔵庫で冷やして飲んだ。

何本か、店で試飲させてもらって、少し、こくのあるのを選んだのだが、味は、まあまあだろうか。
フルーティーなのは、今年はちょっと変な味だったように思う。

残念ながら、ワインについては詳しくない。善し悪しは飲んだ時の味でしか判断できないので、買う時は値段で選ぶことになる。
このワイン、明治屋で3700円足らず、値段ほどおいしくはなかった(ボジョレーヌーボーでなければ、もっとおいしいのがある、という意味で)が、まあ、お祭りだから、よしとしよう。

飲んでいる時に、息子が食卓を挟んで、「異常気象のなかで育ったワインだね」と言っていた。
けっこう、鋭いことだと思って、感心してしまった。


コロとナイトと由比ケ浜

2010年11月18日 | 犬との暮らし

マルチーズのコロ(我が家の次男)

とフラットコーテッドレトリバーのナイト(我が家の三男)

と由比ケ浜まで散歩した時の写真。
次男と三男、並べて写真を撮ろうと試みたのだけど、不首尾に終わり、それぞれ別に。

コロはまだナイトになれてくれません

でも、帰りに市場の前で妻の買い物を待っている間、我慢して並んで座ってくれました。


鈍感な社会

2010年11月18日 | 通勤・交通・旅行
朝、駅を降りて病院にたどり着くまでの35分。
住宅地の中の気分の良いところを選んで歩くのだが、それでも1度は車に轢かれそうになり、2度は道を塞がれる。
自転車とぶつかりそうになったり、タバコの副流煙に苦しめられるのは数知れない。

商業施設での駐車の時に、後ろの車が余裕を持って待ってくれなかった。と、嘆く投書がちょっと前、あったのを読んだ。

モラルの欠落した、他者に対して鈍感な社会。

いつから、こんな社会になったのだろう。競争社会がそうさせているのか。
ずっと昔からあったのだろうか。

江戸以前は身分制度がしっかりしていたので、現代とは比較のしようがない。
太平洋戦争前も財閥と、貴族がいたので、やっぱり違うような気がする。
敗戦後の日本を分析することが、この鈍感な社会を知るために大事だろう。

先日、電車内で大声で電話で話している老人に、やめるようにいった。
「あなたのような人がいるから、若い人が真似る。だから、話すなら降りなさい」
そうしたら、その老人は結局降りなかった。

私が、周囲に対して敏感過ぎて、日常にストレスを溜めていると言う見方もできよう。
だが、このままでは、日本はますます他人に対して鈍感な社会になっていってしまう。人のことを無視し、人からの助言を無視し、自分のしたいようにしかしない人がどんどん増えていってしまう。

誰かが、止めないといけない。私はそう考える。そして、嫌なオヤジだと思われても、そういった人に働きかけていく。

私はけっして善人ではないし、モラルの高い人間でもない。他人に対して鈍感なところはたくさんあると思う。
だけどそうだからといってなにもしないでいるわけにはいかない。

私自身がこれまでしてきた、さまざまな無益なことへの反省と、それを許容してくれてきた社会への恩返しをしなくてはいけない。


大同窓会 なんと、100人超!

2010年11月17日 | 日々思うこと、考えること
我が母校での同窓会。
1次会は母校食堂で、2次会は渋谷のレストラン貸し切りで行った。
卒業生270人中、100人もの参加者があり、大変な盛況だった。
世話人代表、などと言うものを仰せつかり、緊張したが、無事ご挨拶をすることもできた。

人前で話すのが苦手と言うわけではないが、友人達の前で話すのは緊張する。
大学教授になっているやつもいるし、大企業で部長級のやつもたくさんいる。私自身は自分が人に聞かれるまで、医者だなんてことはおくびにも出さないでいるが、医者もたくさんいる。
まあ、そうはいっても、世話人代表、理由があって選んでくれているものと、自信を持って挨拶をした。

私の出番は挨拶だけでお役御免。
準備はほかの世話人をやってくれた人がやってくれたし。
考えてみると、楽な同窓会だった。

先生にも多数おいでいただくこともできた。

昔のことを思い出すと、気持ちがうわずってしまうから、今回は少しセーブしたが、それでも大いに楽しめた。

みんなには、「今日のこの会が、明日からの元気の糧になれば、世話人一同大変な喜びです」なんて、焚き付けていたのだが・・・

ちょっと早起き

2010年11月17日 | 通勤・交通・旅行
朝一番でカンファレンスがあり、今日は早く出る。といっても、たかだか鎌倉で横須賀線に乗るのが7分早くなるだけなのだが、乗り継ぎなんかで、降りるときには20分ほど早くなっている。
電車の混み具合も違うし、歩いていても行き交う人や車がずいぶん違う。

駅のそばですれ違う人と、ずいぶん離れたところですれ違うと、面食らう人もいる。
変わらないこともあって、交差点で、小中学生を誘導しているおまわりさんは、少しくらい早くなっても立っている。

歩きタバコをしている人がいて、いつも嫌な顔を向けていたのだが、最近合わないと思っていたら、今日はいた。
少し時間を早くして私と会わないようにしていたのかもしれない。

あっちはあっちで気を使っているのかもしれないが、そんな思いまでして吸わなくても、あなたは大丈夫。
私とすれ違わないようにするよりも、タバコをやめる方が、あなたにとって幸せは多い。
これは真実。

いつもと違うことをすると、気がつかないでいたことがみえてくることがあって、面白い。

スポーツを愛する

2010年11月16日 | 妻の名言
横綱白鵬の連勝が止まった。
ここのところの不祥事や、上位が外国人力士ばかりになって、大相撲そのものに興味がなかったのだが、妻はここのところ、熱心に相撲中継を観ていた。

「なぜ、そんなによく観てたの?」と尋ねたところ、
「こういう、歴史的な場面を観ることができると言うのはすばらしいことじゃない。だから、今日の負けは、とても残念。」との返事。

これを聞いて、目からウロコが落ちた。
そこには、不祥事のことも、力士の国籍も無い、あるのは、相撲と言うスポーツを愛する姿勢だけだ。

そうだったのか、こういう姿勢こそが、スポーツを愛し、楽しむ姿なのか。
そう思わされる一言だった。

これまでなにをしてきたかではなく、これからなにをしていくか

2010年11月15日 | 日々思うこと、考えること
足下に広がる無数の落ち葉。その1枚1枚にすら、存在する意義があり、無に帰していくことは決してない。

私たちも、この無数の落ち葉と何ら変わることはない。

だから、これまでなにをしてきたか、ということばかりにとらわれず、これからなにをしていくか、ということを考えなくてはならない。

これまでに多額の負債を抱えていたとしても、それは精神的なものかもしれないし、金銭的なものかもしれないし、時間的なものかもしれない。負債のことばかりを考えていると、心が塞いでしまうかもしれないが、では負債の反対はなんだろう。

富か名声か、幸せな家庭か。よく考えれば、これらは多額の負債の上に成り立っているものだ。
だから、人の生は足し引きゼロだ。

人はみな、いずれはこの落ち葉のように死んでいく。
いかに、大きく、青々とした葉であってもだ。

だから、これまでのことにとらわれず、これからのことだけを考えていかなくてはいけない。

通行止め

2010年11月14日 | 鎌倉暮らし
たいへん、といっても、鎌倉散歩もしくは鎌倉観光に興味がある人だけに関わることだが・・・

なんと、釈迦堂の切り通し、が大変なことになっている。
6月頃に崩れて、それ以来通行止めになってしまったようだ。

釈迦堂の切り通しは鎌倉の中での移動のためのもので、私も散歩で材木座の方に出るときにはこっちを使ったりする。
もともと、通行止めではあったのだが、

今度は柵が張られて、本当に通れなくなってしまった。

ここに来る道の角で、おそらくフランス語で話していたカップルが報国寺を探していたので、教えてあげたら、釈迦堂の切り通しの案内を見て、「これはなんだ?」と尋ねられたので、以上のようなことを教えてあげた。そのあと、別れて彼等は報国寺に、私たちは海を目指して切り通しに向かったのだが・・・
彼等もあのあといったかな?

知らなかったとはいえ、悪いことをしたかな?でも、大した距離でもないからいいか(これが、京都と違って、コンパクトな鎌倉のいいところ)。

合衆国大統領の鎌倉観光

2010年11月14日 | 鎌倉暮らし
APECで来日中の合衆国大統領、会議の後、鎌倉大仏にやってきた。子供の頃来たことがあったとかで、鎌倉市民としても嬉しい。
大統領の観光旅行に、これだけの警察官が動員されるというのもどうかと思うが、日米親善もあるし、頼りになる兄貴が、弟分とのご縁を強調するのも意義があることだ。
さて、すごいヘリコプターの音を聞きながら、ナイトの散歩

に名越まで遠征して戻ってきたら下馬の交差点のところで、たくさん人が立っている。若宮大路はほぼ通行止め状態で、これは、オバマさんが通るのかな?とおもって妻とナイトと一緒にたたずんでいたら、どこかのおばさんが、「ここは通らないわよ、海のローソンの前」と言っているので、妻と一緒に由比ケ浜まで。
交差点にはけっこうな人だかり、しばらく待っていたら、黒塗りのでっかい車が5台くらいか?あっという間に目の前を通り過ぎた。そのうちの1台には大統領が乗っていたのだろう。かっこよかった。


逗子の米軍基地にヘリで来て、海沿いを一気に長谷までとのこと。なるほど、米軍基地は日本中至る所にある。
わずか15分ほどの訪問だそうだが、子供の頃のこと、思い出してもらえただろうか。







牛丼

2010年11月13日 | 日々思うこと、考えること
何年かぶりに牛丼を食べた。
昨晩、やや飲み過ぎてしまったので、しんどかったが、最初から今日の朝食は牛丼にするつもりだったので、頑張って食べた。
最近の牛丼戦争で、一番劣勢に立たされている老舗店。

一度は倒産したが頑張って立てなおしていたが・・・

味は、どうだろう。学生時代に食べたころの味ではなかったような気がする。

また、食べたいと思う味ではなかった。

川越

2010年11月12日 | 鎌倉暮らし
学会で川越。
小江戸川越と言われるが、時の鐘を見に行く暇はなかった。

近いような、遠いような場所だが、駅を降りてみるとすごい人だった。
日本国内、どの街も同じになっているが、川越も、同じだな、と思う。
同じ街並みに、同じ店。駅ビルはルミネで、成城石井もしっかりあった。大船とまったく同じだ。

それにしても、東武線はエスカレーター少なくない?

お掃除

2010年11月11日 | 鎌倉暮らし
6時少し過ぎ、鶴岡八幡宮二の鳥居の前。
道路清掃車が作業している。

明後日の13日、鎌倉にAPECの関係者が来ると言うことで、その前に綺麗にしようと、掃除しているのだろう。
綺麗な町になってくれるのはありがたいのだが、当日はすごい交通規制が敷かれるようだ。
昨日、予行演習があったようで、市内にもずいぶん制服、私服警官が増えているらしい。

幸い、私は明後日は学会で鎌倉にはいない。明日から泊まりがけで行くので、関係無さそう。
でもね、鶴岡八幡宮に七五三で来る子供がいるとすると、ちょっと気の毒。

一説には、合衆国大統領も来ると言うことだが、果たしてどうなるか楽しみだ。

だいぶ伸びてきたよ

2010年11月10日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
だいぶ伸びたと言っても、私の髪の毛ではなく、病理診断科にもってきたパキラの根っこのひょろひょろした緑の植物のことだ。

私としては、パキラの子供、と思っているのだが、周りの人は違うと言っている。
出てきてから、もう3ヶ月くらい経ってこのぐらいなので、これは雑草ではないと思うのだが、ではなんだろう。

もう少し様子を見てみないとわからないだろうけど、とても楽しみだ。

この先の人生

2010年11月09日 | 日々思うこと、考えること
自分の影をふと見てみる。
影が見えるときは、影が私の前にいる時だ。
だから、影は私よりも少しだけ先にいる。

影と私が重なることはない。
影は影、私は私だ。

だから、この先の私の人生、影が知っていることもあれば、私しか知らないこともある。

私の来た道、行く道。
どうだったのだろう、そしてどうなるのだろう。
おそらくそれは私だけの事象ではない、世界中の事象と影響し合いながら行く、それがこの世にあるものの意義だ。


この国の危機

2010年11月08日 | 日々思うこと、考えること
今、日本は内憂外患。
国難に直面している。

内閣の支持率もずいぶんと低下してしまい、NHKはじめ、マスコミもずいぶん騒いでいる。

だが、すべては、一党長期独裁政権を許してきた私たちに責任がある。
こうやってきたから、ノウハウは自民党だけが持っていて、ほかの党はそういったものを学ぶ時間もなくここまで来てしまった。
だから、交替要員がいない。レギュラーがスランプになったからと言って、急に出された万年補欠で、勝てるようになるわけがない。
バスケだったら、最初は頑張っても、実力差、現実はいやでもわかってくる。元レギュラーが何人かいても、彼等はレギュラー陣と同じ戦法しかできないので、読まれてしまうし、それで勝てなくなったので交代したわけなので、形勢逆転は難しい。


現首相は石にかじりついてもがんばる、と言っているようだ。
本当に、がんばって欲しい。

戦争、と言う殺し合いにさえならなければ、私たちは満足すべきだろう。
お互い、我慢して、今前線に立っているプレイヤーを応援したらどうだろう。

前の総理が辞めたのはまだこの6月だ。

もう少し、辛抱しようよ。北方領土にしても、八ッ場ダムにしても、少なくとも私の生まれる前からの問題であり、そういった意味で、私たちにも責任のある問題だ。総括を現政権にばかり押し付けるのはどうかと思う。

私たち、国民一人一人も、気をしっかり持って、それぞれの意見、立場を考えるいい機会ではないか。