こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

あいつのおかげで俺がいる

2018年04月15日 | 日々思うこと、考えること

昨日は高校の同期生と渋谷で集まった。55歳になる年で、なんでも60歳の還暦前の予行演習をこの秋にやりたいので、その打ち合わせだという。

コロ健、(同期会という飲み会の)世話人会の代表をやっているので、準備の会には顔を出す。前回は一昨年で、世話人を実質的にやってくれている奴らは本当にあの中学高校が好きなんだなと思う。

友人達とは、スクランブル交差点で自撮り写真を撮って別れた。

それにしても、そういうことをやってくれる奴らがいるので、絆が続いている。感謝しなくてはいけないのは私ということになる。私は、もともと情が薄い方なので、同期会とかそういったものに、あまり興味がない。それでもそういったものに行くのはやっぱり”誘ってくれる”友人がいるからだ。

そうすると、私は私でだれかを誘う立場にならなくてはいけない。

そうやって、少しでも友人の輪を広めるようにしたいものだ。

年に2、3度会うとはどうよ

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食べ物を不味いと言ってはいけない

2018年04月14日 | 生き方について考える

不味い食べ物が無いとは言えない。なんだこれ?と思うような下手くそな料理もある。

でも、この前、あまり美味しいとはいえない鳥のから揚げを食べているときにふと思った。

これって、大切な命をいただいているんだよね。養鶏場の鶏の姿が目に浮かんだ。

それを、不味いなんて、なんて言っていいのだろうか?

人間に食べられるために生まれてきた鶏の命、もし、自分が別の生命体に食われるために生きているとしたら、その絶望感はどんなものだろう。人間は自らが他者に喰われるという思いがない。

肉、魚、野菜、穀物・・・なんでもそうだけど、私は日々命をいただきながら生きている。こんな、当たり前のことにこの50年、気がつかないで生きてきたなんて、なんたる不覚、全く情けなくなる。それでもやっぱり、日々何かをいただかなくては私は生きていけない。

このことに気がついてからも、日々私は命をいただいて生きているけど、三度三度当たり前のように食べているとそのありがたさをすぐに忘れてしまう。

”いただきます”という言葉を当たり前のように口にするけど、実際に殺される肉、網にかかった魚、大地から切り離される植物、そのことに私は思いをいたしていただろうか?

命をいただかなくては生きていけない罪深さを自覚して、日々の食事をいただく。たとえ不味いと感じても、もとは尊い命をいただいているのだからそんな言葉口にしてはいけない。あと、腐らせたり、残したりするのもいけないのも同じ理由だ。

 

”いただきます”に心を込めて

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虎の威を借るなんとやら

2018年04月13日 | 日々思うこと、考えること

”首相案件”という言葉が最近、マスコミを賑わしている。高級官僚が地方の役人に向かって言ったことらしいけど、一体その官僚、自分の考えというのはあったのだろうか?”首相”に忖度し、”首相”になりかわったようなつもりでそのような言葉を発したのだとしたら、ちゃんちゃらおかしい。

官僚としての地位が上がって、様々なことをして良い立場になったものの、自分の意思でこの国を良くしようという思いはこの言葉からは感じられない。このお役人に対する包囲網はどんどん狭まって、そのうち色々なことが明らかなるだろう。

そうこうするうち、今度は、財務省の事務次官のセクハラ発言がすっぱ抜かれた。

「胸触っていい?」「手縛っていい?」「抱き締めていい?」「予算通ったら浮気するか」なんて、財務省の事務次官が言うか?

場末の酒場じゃあるまいし。それに、やっていることがセコい。


事務次官とか国税庁長官になるキャリアのトップ、というのが、こういった調子では言葉を失う。

どうしてこういうお役人が育ってしまったのか、役所の人材育成システムというのはどうなっているのだろう。役人は良く働くというけど、楽な仕事から先にやって合格点に届いたら、難しい仕事には挑戦しないらしい。公務員試験というのがどれほどの難関なのか知らないが、”こんな人たち”がトップになってしまうような選抜試験、どれほどの質なのだろう。

政治家と役人というのは、それぞれの立場をわきまえて行動しなくてはいけないのに、それぞれの権力を悪用されては、一般納税者はやっていられない。

 

役人のあるべき姿とはなんなの?

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私を萎えさせるこの国の空気

2018年04月12日 | 日本のこと、世界のこと

財務省が医療費抑制の提言をした(『都道府県別に医療費設定、財務省
軽度介護の自己負担増』
岩手日報 2018年4月10日)ということだ。”日本は軽症でもすぐに医療機関にかかるから、医療費を圧迫している”だから、そういう場合は受診料を高くするらしい。介護にはボランティアを活用するらしい。

医療費、社会保障費の抑制は行わなくてはいけない。でも、内科とか外科、小児科、産婦人科などのいわゆるメジャー科がきつくて、なり手が減っている状況がなぜ起きているかを考えないで、一足飛びに、それらの科の先生が主体の街の開業医を圧迫するような提言はどうかと思う。十分な収入が得られなければ、若い医者はもっとQOLのよい科に流れる。だから病理医なんて、いつまでたっても増えないし、仕事のキツイ科に進む医者も激減している。20年、30年後に大腸癌を切ってくれる医者がどれだけ残っているか心配になる。そういうこと、財務省はわかっているのだろうか?それに、”ボランティア”って人手不足の世の中、どこにそんな余裕のある人がいるというのだろう?宅配業者がアップアップの状況なのはわかっているのだろうか。ボランティアにもある程度は期待できるかもしれないけど、財政を改善するほどまでに人手が足りるなんて、財務省は本気で考えているのか?”トラック何千台”もが、机上で走るところの思考回路とはそういうものなのか。

だいたい、消費税の目的は社会保障だったはずだけど使途変更だのどうもおかしなことになっている。

政治家の口利き、命令は命をかけて遂行し、政治家とその周りの人だけがいい思いをし、日々税金を払うために働いている国民はないがしろにされている。そんな構図がいまの日本には蔓延している。税金を払ってまで、その国に住まわせてもらうのが国民で、納税は国民の義務だ。だけど、逃げ出したくなる人の理由もわからなくもない。政治が停滞、というか全てを明らかにしてしまえばとっくに終わっていることをいつまでも”丁寧に”文書を改ざんしたりしているものだから、全く何も進まない。

韓国では前任の大統領が順繰りに逮捕されていて、呆れていたけれど、汚職だの利権が少しでもまとわりついたらそうなるということの証しでもあるのだと、その潔癖さには感心してしまう。

日本がこうしているうちにも、海の向こうでは中国がアメリカに取って代わるべく世界支配を進め、シリアでは一般市民が日々犠牲になっている。北朝鮮問題では少しだけ動きがあった(『河野外務大臣による文在寅韓国大統領表敬 平成30年4月11日』外務省)ようだけど、日本パッシングの感は依然として拭えないでいる。

これじゃあ、どうやってポジティブ思考でいたらいいの?と言いたくなる。それでも私は私で日々の仕事を丁寧に誠実に行って行くしかない。医者には嘘もいい加減な仕事もインチキは許されない。でもこれは医者だけではなくて、ほかのあまたの仕事でも同じことだ。

真面目に働いている納税者を上から目線で馬鹿にするのもいい加減にしてほしい。


このままでは窒息してしまう

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こんなことをするためにその職に就いたのか?

2018年04月11日 | 日本のこと、世界のこと

政治家とか役人という人たち、結局は自分が一番大切な人ばかりということか。他人の金=税金を自分の金のように扱っているうちに、他人、すなわち納税者に対する奉仕者としての自覚は全くなくなってしまうのだろう。
嘘をつくこと、本当のことを隠すことがが仕事だなんて職業、ほかにあるだろうか?
戦争で機密情報が発生することはあるかもしれないが、そもそも戦争はしてはいけないことだ。
政治家とか役人というのは、なった途端に特権階級、すなわちお上になってしまうのか?



安定職業No.1の公務員になった途端に、クビにならないために役所防衛のために身を粉にする。組織を守るためなら、嘘も改竄もなんでもあり。財務省とか厚生労働省とか防衛省がそんなことをしているなんて、私たちの税金はそんなことをしてもらうために払っているのではないと言いたくなる。
中にはそのことに耐えられず、自殺する人まで出ているけど、体を壊している人もふくめたら、そういう人は何人にいるだろう。そういうことをくぐり抜けた人がトップに立つ組織って、一体何?
外交に力を入れてきたはずなのにジャパンパッシング、という不名誉な言葉まで生まれてしまった。疑獄事件を起こしてしまうような脆弱になってしまった政権では外国もソッポを向く。拉致被害者問題は一体どうなってしまうのか?
今年度の国家予算は過去最高というけど、それもこれも国民一人一人の税金の積み重ねだ。なるようにしかならないとはいえ、私たち国民に出来ることを考えなくてはいけない。

良心を発揮し、膿を出し切ってくれ!

 

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ジムに一年、効果と対策

2018年04月10日 | スポーツ・健康・ダイエット

去年新しい職場に移ってすぐに入会したジム。通い始めて一年経った。

40歳過ぎに以前の職場のバスケチームに入り、そこは10年ぐらい続いたのだけど、足首と膝と手首の痛みがどうしようもなくなって足が遠のき、それに合わせるかの様にその職場も辞めた。次の職場、は1年だったのだけど、では体を動かす暇もなかった(でも、朝晩歩いてはいた)。そして昨年、今の職場に移り、通勤ストレス対策として久しぶりにジム通いとなった。ジム通いを継続させるコツは、動機付けと環境が大事で、通勤途中の乗換駅徒歩3分のところのジムを選んだのはよかった。忙しい時は1週間行けないこともあるけど、基本的には週に2回は帰りに寄っている。そんなことで、かれこれ1年続いたが、果たしてその効果はどうだろう。

この1年間のデータの推移は(2017年4月/10月/2018年4 月)身長176cmで、81.9/81.6/83.0κg、骨格筋量32.5/33.7/33.3kg、体脂肪量24.1/21.9/23.7kg, BMI 26.4/26.3/26.8, 体脂肪率 29.4/26.8/28.5, ウェスト・ヒップ比0.93/0.92/0.93、内臓脂肪断面積140.5/132.2/139.3。ちょっと細かくなるけど、筋肉バランス(発達率)は右腕91.3/99.0/95.8,左腕88.7/98.3/95.7, 体幹90.4/95.8/93.8, 右脚97.6/96.3/96.8, 左脚96.6/96.7/95.8となった。結果としてあんまり変わっていない。テレビや雑誌で宣伝しているダイエットメニューに比べたら全く変わっていないことになる。もともと太り気味の体型なので、50も半ばで簡単に痩せようというのが土台無理な話なのだが、残念だ。

ジムに入ってすぐはスタジオメニューを中心にして燃焼系のプログラムをとっていた。半年ぐらい経ったところで、ジムが突然女性会員重視にシフトしてメニューを大幅に減らしてしまったのをきっかけに筋トレ中心のメニューに移行した。それまでも筋トレもやっていたが、そもそも自分の三倍ぐらいの体の人たちに混じって白髪の目立つのおっさんがトレーニングをするというのもどうも気後れしていた。それでも徐々に馴染んではきている。

さて、データをみると、なるほどという結果だ。もともと、腕が華奢なのが気になっていたので、腕の筋肉量を増やす様にしていたから、左右の腕には効果が出ている。一方、歩かなくなったことのリカバリーはなかなかできていない。両脚の筋肉量がジム通いにも関わらず落ちている。体幹の発達率がいいいのはピラティス(『太ってしまった(3)・・・ピラティスに挑戦!?』)を習ったおかげもありそうだ。腹筋も行ったら必ずやっているので、役に立っている。でも、半年の時点が一番データがいいというのは、前半、燃焼系メニューを中心にしていたおかげだろう。有酸素運動侮り難し。”減量”という観点からだと、体重は増えているけど、これは骨格筋量の増加分とほぼ同じ。それよりは体脂肪量が少し減ってくれたのが嬉しい。少なくとも、不健康な状態の進行はみられない。というわけで、あまり変わっていないようだ。でも、高いお金を払っているのに変わっていないというのも馬鹿馬鹿しい。さて、どうしよう。

今後の対策は、有酸素運動を増やすことだが、時間のピッタリ合うメニューが今のところ見つからないでいる。スタジオ2つのうち、一つを女性専用にされてしまったので、仕方ない。結局、筋トレだと、いつ行っても好きな順番でマシンやダンベルを使えるからそちらの比重が大きくなってしまっている。ランニングマシンは第3者的視線からみるとどうしても滑稽に見えてしまうので、避けたい。あとは歩くだけだが、そうまでしている時間はこれ以上作れない。どうしたらいいか。

話はそれるけど、学生時代、本当によく体を動かしていたものだと、あの頃が羨ましくなる。それをさせてくれていた両親にも感謝しないといけない。

お袋は呆れていたが

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余計なことは考えない、なるようにしかならないから

2018年04月09日 | 妻の名言

仕事仕事と負荷が多いからか、日本の政治に呆れることが多いからか、なんとなく気の休まる間がなく、なんとなく気が重い。

妻にも心配されてしまったので、逆に、どうしたら(妻のように)ポジティブでいられるか、聞いてみた。

そうしたら「余計なことは考えないの、なるようにしかならないから。」と教えられた。

たしかに、夜中目が覚めてしまってから、あれこれ考え始めてしばらく眠れないことがあっても、何かが変わるわけではない。何も変わらない。寝て起きて、1日が始まり、物事はそれなりに進んで行く。どうしようもないことなどなく、全てはなるようにしかならない。因果応報、結果はすでにそこにあるのかもしれない。そしてその結果へのプロセスを自分で切り開いて行くだけのことだ。人間の悩みというのは頭の中で作り上げているだけのもの、心配してなにかがどうなるというものではない。一体なんのための悩みなのかすらよくわからなくなる。『杞憂』という言葉がある。取り越し苦労のことだけど、全ての悩みなんてそんなものだ。

さあ、新しい週が始まる。

今、自分ができることを、自分にも相手に対しても、誠実に真面目にやるしかない。

その先はなるようにしかならない。

みんなきっとうまくいく

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疲れに注意

2018年04月08日 | 日々思うこと、考えること

親戚づきあいがあって、都内へ。

グダグダして過ごしたかったのだけど、忙しい1日になってしまった。

都内はずいぶんたくさんの人がいた。

鎌倉には明るいうちに帰ってきたけど、こちらもたくさんの観光客で賑わっていた。

どこも人がたくさん

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モフモフ大バトル・・・ナイト、8つの誕生日 その2

2018年04月07日 | 犬との暮らし

昨日はフラットコーテッドレトリバーのナイトの8つの誕生日だった。そこで、妻がナイトのために特別メニューを用意してやったらしい。マルチーズのコロもそうだけど、犬のエサは基本的にドッグフード。おやつはキャベツとかレタスの少し硬いところ。でも、それぞれの誕生日には特別のものを用意する。昨晩はひき肉を煮たものをスペシャルフードとして用意したとのこと。

ナイトは行儀よく”マテ”をして、妻の”ヨシ”を待って大喜びで食い始めたらしい。

ところが、それを見ていたコロが突然エサを食っているナイトの横っ腹に噛みついてエサの皿を奪ってしまったそうだ。

奪ったエサをコロはムシャムシャ。

なにもコロに意地悪をしたなんてことはなくて、妻はあらかじめ娘にナイトを散歩に連れて行かせ、その間にコロには同じものをすでに食わせておいたとのこと。不公平というわけではなかったらしい。それに、コロはドッグフードの時は少し残すぐらいで、おかわりなんてすることはまずない。ただ単に、”味をしめていた”ということのようだ。

コロがナイトへのご馳走に舌鼓を打っている間、ナイトは妻の横でなすすべもなくオロオロして、お誕生日のエサがどんどん消えていくのを見ていたとのこと。でも、スペシャルフードの残りが尽きようとしたところで、ナイトが突然、コロにおそいかかってエサの皿を奪還。なんとか最後の一口にはありつけたそうだ。

これではあんまり可哀想だと、妻は私の弁当用に冷凍しておいたお肉を解凍し、人参などと一緒に煮込んでもう一度誕生日メニューを作り直したという。

私が帰った頃には冷めて食べられるようになったので、私からエサをやることにした。

少し、味をつけたら美味しく食べられるだろう思えるヘルシーフード。これを帰宅してお腹ぺこぺこの私が横どりしてはいけない。ナイトは今度こそ自分が食えると思って、いい子でマテしている。

今度はゆっくり食うことができたようで、食い終わってからもしばらくの間皿を舐めていた。

ところで、コロだけど、自分が悪いこと、すなわち他犬のエサを横取りしたことが悪かったというのはわかっていて、彼なりに気まずかったようだ。

私が帰宅した時にはすでにクレートに入っていて、出てこないでいた。ただいまと覗くと唸るばかりなので、放っておくことにした。でも、そのあと、家族4人の食事の時には、コロも出てきて横に座っていた。そうしたらなんと頭に血が滲んでいた。

ナイトは気が優しいから、コロのことを実力で排除するようなことはほとんどない。ナイトの口がコロの頭に当たったのだろう。ナイトが本気で噛んだりしたらコロはそれこそイチコロだ。コロの頭を撫でても怒らないから大したことはなかったのだろう。コロ、今回は欲張った君が悪かったよ。

犬たちは犬同士で色々ストレスになることもあるのだろう。まさか流血の事態になるなんて、気をつけてやらなくてはいけない。

二匹とも食うには困っていないのに

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ナイト、8つの誕生日

2018年04月06日 | 犬との暮らし

フラットコーテッドレトリバーのナイト、今日で8歳。ヒトでいえば55歳前後に相当し、コロ健の年に追いついたということになる。

人間である自分に今何が起きているかというと、駅の階段を駆け上がったら息切れするし、そもそも小走りも辛い。膝と手首足首も痛い。老眼は進んで、耳は遠くなり、物忘れもよくある。というようなことで、年をとって、肉体的な衰えがどんどん進んでいる。気力の衰えも顕著だ。

 

だから、同じような年のナイトもそんなものだと考えて、いたわってやらなくてはいけない。それとも、ナイトは立派な犬なのでそんなことはないのかもしれない。でも、最近ではナイトも元気がなくて、というか落ち着いてしまって、他の犬との絡みもずいぶんあっさりしてきた。食欲はまだまだ旺盛なのはまだ安心ではある。

レトリバーの平均寿命が12、3歳というから、一緒にいられるのも、せいぜいあと5、6年というところか。この先、早回しのように年老いて行くだろう。暑さに弱いから、今年も夏はよくしてやらないとけない。ちなみに6年後、私、コロ健が還暦をむかえる年、ヒトの年に換算するとナイトは14歳で88歳、マルチーズのコロは18歳でやっぱり人88歳になって、米寿だ。みんなで一緒に年をとることができることを祈っている。

今夜こんな惨劇が起きてしまうとは

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立派な大人はどこにいる

2018年04月05日 | 日々思うこと、考えること
 通勤の電車が再び混んできた。新年度、多くの人の流れは変わる。今のところは社会人がほとんどだが、来週からは学生も加わり、混雑はもっとひどくなる。それでも、誰も自分が加わったせいで、電車が混んでしまったなんて思わない。昨年度から電車を利用している人間にしても、立場はみな一緒。手を携えて、満員電車にも文句をいわずに日々働かなくてはお国が潰れてしまう。

 最近、この国では新しい環境へと船出する人たちの将来が構造的に限界にきているのではないか、そんな社会のままでいいのか、という気がする。

 強く思うのは身の回りで、立派な大人というのがどれほどいるのかということ。今や、政治家の多くは汚れてみえるし、社会的地位の高い人もその地位を高めるために大なり小なり人を出し抜いてきたにすぎないようにみえる。役人は納税者の方より、組織、政治家の方ばかりをみる。

 新聞・テレビには日々、地位の高い人のスキャンダルが見出しとして並ぶ。大人というのが、こういうものだと若い人にみせつけていいわけがない。夢も希望もなくなるし、若い人はそれこそが地位、権力だと思うようになる。

 潔白で、誠実で、知性があり、包容力もある。そういった人を見かけることは最近ない。子供の頃、立派な大人の人を尊敬してみていたけど、それらのひとたちにも裏表はあったのだろうか。それとも、そういう人は嫉妬されて足を引っ張られて表舞台から消えてしまうのか。

 私自身、いい年なので、自分自身がそうあればいい、そうありたい、そうでなくてはいけないと思うけど、さてどうだろう。自分の気づかないところで人を出し抜き、人を貶めているかもしれない。客観的にみてそうだからと思っていても、その客観性はどこで担保されているか。人の評価は立場によってクルクル変わる。私自身への毀誉褒貶もある。適当なことをでっち上げられ足を引っ張られたこともある。

 だからといって、自分自身を少なくとも自ら尊敬できる人間になることを怠ってはいけない。日々精進を重ね、新たに仲間に加わってくる社会人たちの模範となれるようになりたい。もちろん、オヤジの説教はNGである。

 今日は、実習で半日ほど学生と一緒にいた。わが身を鑑みてみると指導教官として立派にしていたか、不安になる。

せめて見た目だけでも?

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沈み込みそうな気分

2018年04月04日 | 日本のこと、世界のこと

なんとなく嫌なことが多い。個人的にもそうだし、それ以上にこの国の未来を考えると、もっと嫌になる。

毎日、モヤモヤすることが多い。
日本の政治、行政がいつのまにかとんでもないことになっている気がする。どうしてこんなことになってしまったのだろう。
皆さまのために働く、と言って選挙に立ち、公僕たらんとして公務員になったはずなのに、そういう人たちは皆国民を下に見るようになってしまっている。人から付託された税金を自由に使っているうち、王様にでもなった気がするのかもしれないが、毎日毎日汗水流して仕事して、その何割かを税金として取られている身にしてみると、踏んだり蹴ったりのような気がしてならない、
どうにかならないか。どうしたらいいか?

いうとまた何か言われるし

 

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百花繚乱ではないけれどそれなりに

2018年04月03日 | ガーデニング・菜園・花・緑

桜はやっぱりいつも通り、パッと散ってしまった。2週間ぐらいは咲いていたので、一本の木の花の咲いている時間としては決して短いものではないが、クローンだから、みんな一緒に咲いて散るので、目立つだけだ。それでも山桜は残っているし、我が家の花見はこれから。

娘が高校卒業の時に私達夫婦にお礼として贈ってくれた桜もよく咲いている。

花壇も随分賑やかになってきた。やっぱり、チューリップは可愛いくて、目立つ。

掘り起こさないで放っておいているのだけど、大丈夫なようだ。掘り起こして何処かに忘れてしまうよりはいいだろう。ナイトが花壇を荒らさないでくれるのも助かる。

最近では色々な種類があるけれど、なかなかお花にはお金が回せず、オーソドックスな種類が主だ。子育てが終わって、生活にゆとりができたら、珍しい球根を探してみたい。

毎年健気に咲き誇ってくれるのをみると、”今年も咲いてくれてありがとう”と朝晩声をかけたくなる。

ここのところ、週末にもあれこれあって手入れをする時間がなかなかなくて、庭のことは妻に任せっぱなしにしているのだけど、時間と場所を限ってやったらまだできそう。綺麗にしてやりたい。

そういえば、何の株だかわからないでいたら、水仙だったというのがあり、妻も抜かなくてよかったと胸をなで下ろしていた。

パンジービオラも立派になり

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クリックするときはご用心

2018年04月02日 | 電脳化社会

少し前のことになるが、カード詐欺に遭ってしまった。

ネットでの通販、よく使うアマゾンに注文したのだけど、欠品で待てど暮らせどやってこない。そこで、ほかの業者を探して注文したらおかしなページに行ってしまった。その1週間後、カード会社から”こういう買い物されましたか?”という連絡が来た。全く心当たりのない旨を回答したら、ネット詐欺にあった可能性が高いということ。カード会社では不正利用を監視するシステムがあって、私のカードがそれに引っかかって連絡してくれたそうだ。被害は救済されるらしいのでホッとしたけれど、自分に関するものを勝手に他人に使われてしまっているというのが怖くなる。自分の隣に悪人がいるのかと思うと、気持ちも悪くなる。

不用意によくわからないネット業者にはアクセスしないで、大手のところだけを使うのが無難そうだ。

そんなこともあって、安易なクリックには注意が必要だと思っていたのに、今度は仕事でとんだ失敗。原稿書きでテンパっているところにある雑誌から論文査読の依頼が来た。引き受けるかどうするかを決めるまで少し猶予をもらえるので、先週になってから引き受けた。査読期間は2週間あるから、今週いっぱいで返事をしたらいいことになる。と思って、その雑誌の査読を引き受けた時、これとは別の論文に関するメールがきていた。

誰かが、私を共著者に入れてくれた論文だろうと思って、ちょっとのつもりでよけておいたら、そのメールが再送されてきた。もう、とにかく先週はメールを読むのも斜め読みで、いい加減にしていたのがよくなかった。それは別の雑誌からの査読依頼だったのに、うっかりagreeのボタンを押してしまった。そうしたら、その論文も送られてきた。いっぺんに論文査読2本。とても大変なことになった。著者のことを考えたら人ごとだと放しておくわけにはいかない。内容はともかく、一生懸命書いたもの、私も頑張って勉強して読むことにする。査読の場合、読んで内容を理解するところまではいいのだけど、その先の、英語で査読結果をお知らせしないといけないのが大変。これまた、断ったら次はないだろうと思うとやるしかないのだけど、内容をロクに読まないでクリックするからこんなことになる。

何でもかんでも調子に乗ってクリックしてはいけない世の中なのだ。

私が情弱?

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なんとか原稿アップした

2018年04月01日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと

ここのところ、大騒ぎしていた3月末日締め切りの原稿だが、半日遅れとなってしまったけどなんとか仕上がった。

昨日は、やっと原稿が仕上げたところで、心配になって後輩にチェックしてもらった。すぐにチェックしてくれ、たくさんの間違いが見つかったけど、とても助かった。それを横でみていた同僚の病理医に「コロ健先生、専門家による超特急校正なんて、何万円もかかりますよね、それを一言でやってくれるなんて・・・」と言われた。たしかにありがたかった。若いといっても優秀な病理医に文章のチェックをしてもらえるなんて、感謝しなくてはいけない。

帰りがけに、妻と一緒に千鳥ヶ淵に行った。お花見なんてしている場合ではなかったのだけど、頭が痺れてしまったということで訪れた。葉桜になりかけていたが、桜吹雪が見事だった。丁度満月が出てきたところで、多くの人がそちらにカメラを向けていた。

それにしても随分な人出たと思っていたけど、鎌倉に帰ってきたら段葛もすごい人出だった。外国人も多い。

千鳥ヶ淵にしても、ここ鎌倉にしてもアルコールを飲んでも咎められず、夜、安全に歩けるなんて、日本はやっぱりいい国だな、なんて思いながら歩いた。

今日は、朝5時起き。

心優しい後輩が朱入れしてくれた原稿を元に仕上げて、10時にメールで送った。

ここ、数ヶ月心に重ーくのしかかっていた懸案だったのだけどこれで一山超えた。あとは、これ(講演用のハンドアウトなので)を使った発表用の準備をすることになる。

エイプリルフールではありません

 

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