こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

ボロクソに言われて考えたこのブログの現状と未来

2022年09月14日 | わたしのこと
日の出の位置がいつの間にか南に降りてきていて、季節の移り変わりを実感する。
夜明けの時間もずいぶん遅くなってきた。
まだしばらくは蒸し暑い日もあるようだが、それも秋分までだろうから、あと少しの辛抱だ。

少し前のこと(少なくともマルチーズのコロはまだ元気だった)、私のブログについてあるブロガーさんから、

 『ウクライナ戦争に入ってからは、日を追うごとに、世界について書けなくなってきた、』

とその方のブログの中で書かれた。
ほかにも結構な書かれようで、まあ、ボロクソだった。
その方にはこれまでにも時々私の文章についてそのようなことを書かれていたが、それは私にもっといい文章を書けよと励ましてくれていたのだろう。
だが、今回は、自分でも、以前に増して文章が散漫になっているがはわかっていただけに、もう、(ブログ書きを)やめてしまおうかと思うほど落ち込んだ。

ロシアによるウクライナ侵攻という、あり得ないと思っていたことが起こり、その後は、今後の世界情勢がどちらに向かっていくのかがわからない状況となっている。
それは、世界中の人が同じような思いでいて、ロシアのプーチン大統領自身もどうしていいかわからなくなっているのではないだろうか(まあ、彼の場合、侵攻を始めた段階で訳が分からなくなっていたのだろうが)。

その原因は人間の愚かさであるというところまで気づいてはいたが、具体的に言語化するのは難しいと思っていたところだった。
どうやって世界を包む現状を俯瞰し、どう解析していったらいいのだろうか。

誰もが信じられないことが目の前で進行していて、いまのところミサイルこそ飛んでいないが、ウクライナからの避難民は目の前にいて、それは中国北朝鮮ロシアによって日本が脅かされたら起こりうることだ。
このことこそが現実であり、ではそんな人を前にして自分たちは一体何ができるというのだろう。

暴力、強権、権威主義がはびこる世界で、明るい未来や平和を論じることはもはやナンセンスであり、せめてプーチン大統領が核兵器を使用しないことを祈るのがせいぜいだ。

権威主義的国家に比べると日本はとても素晴らしい国だが、国内的にはもうグダグダで、まず、野党には全く期待できない。
それにもかかわらず、内閣の支持率は低い。
自分たちの選んだ自民党による現内閣を支持しないというのはどういうことなのだろうか。
現内閣を支持しない人たちが誰にこの国を付託しようとしているのかが全く見えない。
結局のところ、自民党の中から誰かを総理にするしかないわけで、かといって、今のこの状況を完全に打破できるような政治家がいるか、いるわけがない。

そしてこのブログはどこに向かっていったらいいのだろう。
このネットの世界・・・その方のいうところの”ネット荒野”で何をどう発信し、考えていけばいいのか途方に暮れてしまう。

社会や人の動向を観察し、分析し、その方向性を考え、それを言語化して発信することは困難なことではあるものの、社会にとって有意義なこととおもうが、このレベルの”ネット荒野”に対してそんなことをする価値はあるのだろうかと考えてしまう。

私の心の備忘録として始めたブログが、いつの間にかある方にとっては社会を俯瞰すべく役割を負わされてしまっているのは、思ってもみなかったことではあるが、幅広い視野を持って思いを発信していく必要がありそうだ。
身辺雑記から世界を見るという作業というのは、顕微鏡所見から全身の状態を診断する病理医の仕事に通じるものがある。

くだんのブロガーさんはキッパリとした性格なので、見切りをつけた私のブログを読むことはもはやないだろうが、読者の一人が減るだけと、気にすることはしないようにしよう。
めげずに続ける

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相性の悪い人と縁を切るには別の楽しいことを考える

2022年09月13日 | 人間関係
先週末に恩師の元を訪ねたのはいい思い出となったのだが、これとは別にちょっと面倒な問題が起こっていた。

人間生きていたら一人や二人相性の悪い人(≒嫌いな人、苦手な人)というのがたいていはいるだろうが(そうでない人もまれにはいる)、そんな相性の悪い人とどうしても関わらなくてはならなくなってしまったのだ。
相性が悪くても、関わらなければいいのだが、そうもいかないのだが、こういう人と付き合うと精神的にやられてしまい、他の何もかもがうまくいかなくなる。
もちろん逆も真で、先方も私と関わりたくないだろうから、あれこれ言ったところで意味はない。

人を呪わば穴二つともいう

これ以上はやめておこう。
とにかく、私にもこういう悩みがあるのだ。


それはさておき、どうしても関わらなくてはいけない相性の悪い人(≒嫌いな人、苦手な人)と付き合うにはどうしたらいいだろう。

無視する、気にしない、別の楽しいことを考える。

無視するといっても、どうしても関わらなくてはいけない時はそうもいかない。
気にしないといっても、一挙手一投足がいちいち私の考えとは真逆のことで、気にしないのはほぼ不可能。

別の楽しいことを考えるというのは、無視して気にしないということの延長上にありそうだが、そうではなくて、楽しいことを考えることを考えるというのが重要だ。
雑音を消すために、イヤフォンの音を最大にするようなもので、抜本的な解決ではないもののそれなりにストレスは薄まるだろう。

今私が考えなくてはならないことは、ルーティンワーク、研究、執筆のこと、病理診断科のこと、病院のこと、妻のこと、などなど・・・。
これらのことはどれもこれも面倒なことではあるけれど、別の見方をしたら楽しいことばかりだ。
まずは、これらのことをしっかりやっていこう。
癒しはなくなってしまったが

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師に会いにセンチメンタルジャーニー

2022年09月12日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
もう、3ヶ月近く前から予定していた先輩病理医の八ヶ岳の別荘に夫婦で週末にお邪魔した。
この予定を立てた時には、まさかマルチーズのコロの具合があれほどになってしまうとは思っていなかったので、何も考えないでいたが、このひと月ほどはいつどうなるかわからず、悩ましかった。
私と妻の夏休みの旅行は全てキャンセルして済ませたが、今度は相手のあることで、妻だけのことして私だけ来ることにしようかと考えていたが、コロが気を利かせてくれたのか、そうはならなかった。

私と妻にとっては、期せずしてセンチメンタルジャーニーとなり、コロの気配が消えてしまった寂しい家から離れることができたが、それでも往復の車の中、空に浮かぶ雲を見てはコロのことを思い出し、話も弾むことなく二人で名状しがたい思いを抱えながらドライブして八ヶ岳に向かった。
私が外科診断病理の神様と尊敬する先生だが、お付き合いは、私が駆け出しの時にそれこそメスの持ち方、病理診断書のイロハを教えてくれたところから始まり、その後専門病院に勤めた私が、もう一度総合的な病理をやり直そうとした時に、再生工場さながらに鍛え直してくださった。

病理医としの私の相当な部分を占めている先生だが、医者のように知識がいくらあっても実戦にあたっては、誰かの指導がなくてはできない職業では、誰しもそんな師たる人がいる。
私にとってはそんな人が日本を代表する外科病理医だったというのは幸運だった。
今回はただ遊びにいくというだけでなく、仕事のことでもいくつか相談したいことがあり、いろいろと示唆に富んだアドバイスをいただいた。
健脚家で私より一回り上だが、あちこちの山に登っておられ、今回は滝めぐりということで精進ヶ滝というところに連れて行ってくださった。

私も妻も心にぽっかり穴が空いた状態で、体もすっかり疲れていたが絶景はしばしその穴を埋めてくれた。
森林浴もたっぷりできて

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過去を変えることはできないが歴史は書き直される

2022年09月09日 | 日々思うこと、考えること
昨晩は東京の息子(嫁は出張中)が仕事のあと、おっとり刀で一昨日亡くなったマルチーズのコロにお別れに来てくれた。
結果として、夕食は結構賑やかなものとなったが、これもコロが用意してくれたひと時だったのかもしれない

明け方、夢にコロがでてきた。
夢の中で私は、コロに向かって

 そんなところでなにしているの?

と声をかけた。
そこでふと、どうしてコロがそんなところにいるのだろうと目が覚め、コロは棺の中にいるはずなのに、どうしたのかな、などと寝ぼけた頭で考えているうちにまた眠ってしまった。

朝になって、それはコロがお別れに来てくれていたのだということに気がついた。
もうちょっと遊んであげたら、また一つコロとの楽しい思い出を増やすことができたのにと思うともったないことをした。

イギリスのエリザベス女王が96歳で逝去された。
70年の在位中にはそれこそたくさんのことがあっただろうが、それも終わってしまえば、うたかたの夢。
過ぎ去ったことは変更のしようがなく、それはあったこととして受け入れざるを得ない。
ただ、それに対する解釈、すなわち歴史は消したり、作り替えたり、でっちあげたりすることはできる。

焚書はその最たるもので、始皇帝、ヒットラーは歴史を消し去ろうとした。
旧日本軍も敗戦時には関係書類の多くを焼却してしまったという。
消されてしまった歴史は穴埋めをせねばならず、そこには書き換えたものをあてはめることになる。
こうして歴史はそれぞれの人にとって都合のいいように書き直されていく。
解釈の問題といえばそれまでで、実際その時そこで誰が何をどのように考え、何をしたかなどということは、当事者にすらわからない。

誰にでも公平な歴史というものは存在し得ないものの、バイアスを極力排した公正な事実の記録というものがあってくれたらいいのだがと思うが、残念ながらそれはあり得ない。

今朝、息子は仕事に出かける前に、活けてあったあったお花を切り、コロの周りに置いてくれた。
私も娘も出かける前にそうしたので、コロはすっかりお花に埋もれてしまった。

午後、休みをとって家に帰ると供花がまた増えていた。
妻とコロを焼き場に連れて行き、荼毘に付した。

未来は造ることができる

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コロとのお別れから考えた安倍元首相の国葬問題

2022年09月08日 | 日々思うこと、考えること
この度は、わが家の愛犬コロへの、ご丁重なお悔やみをいただきまして、恐れいります。
このブログを振り返ると、コロがどれほど長い間、私と私の家族に寄り添ってくれていたのかがわかります。
そして、命の大切さ、意義をあらためて考えさせてくれました。


家に帰るとコロはやっぱりただ眠っているかのようで、普段と違ったのは声をかけても動いてくれないということと冷たくなっていたということだけだった。
昨日は、コロとお付き合いのあった方が何人かお花を持ってお別れにやってきてくれて、妻と思い出話を語らってくれたという。
エントリーとコメントという形でもたくさんの方からお悔やみの言葉をいただき、ブログの持つ力というものもコロが知らせてくれたように思う。
小さな命の終わりであっても多くの人の心に様々な思いをおこしてくれた。



コロが亡くなって、暗殺された安倍元首相の国葬について考えた。
今日、国会閉会中審査が行われ、安倍元首相が歴代最長の8年8か月にわたって首相を務めたことなどを理由として挙げたというが、強行するのは既定路線だろうから、形式的といえば形式的な議論だ。
非業の死を遂げてから、1、2週のうちに国葬を行なっていたら、こんな議論が巻き起こることはなかっただろうに、国民の悲しみが薄れ、その社会的功績の評価へと移った時点でこのようなことになるのはある意味当然だろう。
亡くなってすぐの頃には葬儀への参列を表明していた外国の要人も、日が経つにつれずいぶん減ってしまったようで、弔問外交に期待はできるのだろうか。

かつて国葬の行われた吉田茂元首相にしてもワンマン宰相といわれたように、毀誉褒貶は激しいが、安倍元首相はもっとだ。
だが、非の打ち所がない清廉潔白な人間など存在しないわけで、そうすると、この情報化時代、全てを隠し通すことはできない。
仮に瑕疵のない人生を送ってきた人がいるとしたら、よほど同質化された狭い世界で生きている人であろう。

岸田首相にしてみたら、まずは盟友安倍元首相の死への深い悲しみがあり、これに多少は弔問外交への期待があっただろうけど、まさか清和会の旧統一教会の問題が露わになり、自民党、公明党、共産党さらには警察を揺るがすような事態に発展するようになるとは思っていなかっただろう。
理想主義的で正攻法でやっている岸田首相は気の毒といえば気の毒だが、このピンチをチャンスとして生かせるかで、政治家としての力量が試されることになる。

弔うとはなにかを考える

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コロ、ありがとうね

2022年09月07日 | 犬との暮らし
マルチーズのコロは、夜中になると私たちの寝室のほか、息子の部屋、娘の部屋を行ったり来たりして夜回りしてくれていたが、もう動けなくなってからは私たちの部屋に敷いた犬の介護士さんから借してもらった無圧布団の上で寝ていた。

昨晩、というか今朝、4時過ぎ、手洗いから戻って部屋のカーテンを開けた時に、コロの顔を見てやればよかったのに、これで目を覚ましたらまた鳴くだろうと一瞥もしないでそのまま寝床に戻ってスマホをいじっていた。
しばらくたって、ふと目が覚めてコロのことを見た妻が、

  コロ、死んじゃった

と言った。

慌てて起きて、コロのまつ毛を触ってみたが、可愛らしい目が閉じることはなかったし、胸の動きも失われていた。
突然、もう2度と会えないという寂しさに全身が包まれ、悲しみがあふれた。

9月24日が来れば16歳だったが、残念ながらその前に力尽きた。

コロがわが家にやって来たのは、2006年12月25日。
夫婦ともに犬好きで、ずっと犬を飼いたいと思っていたのと、子供たちの情操教育にもいいだろうと、娘へのクリスマスプレゼントに連れ帰った。
コロとの出会いについてはすでに書いてある(生まれた時からひとりぼっち)。
これはコロが1歳の時に祇園山ハイキングコースで娘と一緒に撮った写真。
マルチーズにしては大柄だったが、小さな体で家族と一緒に鎌倉じゅうの山をよく歩いた。
フラットコーテッドレトリバーのナイトがやってきてからは、彼のしつけを良くしてくれたようで、ナイトが家具を壊すようなことはなかったのはコロの指導のおかげだと思っている。
そのナイトをコロは私たちと一緒に送ってくれた。


犬は何を考えて生きているのだろうといつも思っていたが、結局何もわからないままコロも私たちを置いて行ってしまった。

犬にとって、人間に飼われるというのはものすごいストレスに違いない。
生まれて間もなく母親と引き離され、たった一匹となり、ペットショップのショウケースのなかから、目の前を通り過ぎる何十人もの人間を見て何日も過ごした末、ある日急にその最後の一人の家に連れて行かれて新しい生活が始まる。
コロも自分の思いなどわかってくれない私たちの生活に適応するのは大変だったろう。

犬は基本的に野生で生きることは想定されていない、人とともに生きることを運命づけられている動物だ。
だから、犬として生まれてきたからには、それがどのような形であっても、どこかの人間に飼ってもらわなくてはならない。

犬にとってどんな暮らしがいいのかなど、飼い主にはわからない。
買われたはいいがすぐに飽きられて殺処分される犬、多頭飼いの劣悪な環境で暮らす犬、日常的に虐待される犬などがいる一方で、いいものばかり食べさせられて糖尿病になる犬もいる。
犬には選択肢はなく、生きていくためには飼い主にすがるしかない。


昨夜は娘のフィアンセ君が腕によりをかけてムサカという地中海料理を作って、私たちの31回目の結婚記念日を娘とともに祝ってくれた。
妻と二人でコロを抱き上げて記念写真を撮ったのが生前最後の写真となった。
1時ごろになって痛みで目が覚めたようだったので、痛み止めの注射を打った。
もう二週間以上、チュールというチューブ食と、蜂蜜とヨーグルトを混ぜて薬を入れていたものと、水しか飲んでいなかったコロの体は骨と皮になっていて、皮をつまみあげると向こうに突き抜けそうになって、一度はうまくできず、刺し直したことでちょっと悲鳴を上げさせてしまった。
そのあとは痛み止めの薬のせいで眠ってくれたようだったが、すでに力尽きていたのかもしれない。
私が注射針を刺し直した時に聞いた声がコロの最後のものとなった。

痩せ細ってはしまったけれど、コロのマルチーズの白くて絹のように美しい被毛は最期までそのままでとても滑らかだった。

ありがとう、コロ

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特権階級の特権意識はどこから生まれるのか

2022年09月06日 | 日本のこと、世界のこと
勢力の強かった台風11号は日本海を北上していき、日本列島直撃とはならず、大きな被害は出なくてよかった。

昨夜は早めに寝たので、夜中にマルチーズのコロ(15歳)の苦しそうな泣き声に起こされてしまい断続的ではあったが、トータルの睡眠時間はそこそこ稼ぐことができた。
脳圧が亢進していて、頭痛がひどいのだろうというのが獣医さんのお見立て。
今年も結婚記念日を迎えることができて、ホッとすると同時、私たちの結婚生活の半分はこのコロと共にあったと思うと感慨深い。
今、こうしてお別れまでの最期の面倒を見ていても、この子を飼ったことを後悔することは何一つない。
東京オリンピックをめぐる贈収賄事件は止まるところを知らない広がりを見せている。
なんとなく、リクルート事件の時のようで、人間考えることはたいして進歩しないし、何も学習しないということを思い知らされる。
貧乏な国になりかけている大ピンチの時に、天文学的な多額の費用をかけた東京オリンピックで一部の人がインチキをしていたというのはどうしても許せない。
100万、200万などはした金ということかもしれないが、それも積もれば大金だし、そもそもそんなことをしていたら規律が緩む。

贈賄側とされる大阪の広告会社は博報堂の関連会社だとかで、では、広告業界全体で東京オリンピックというパイを分け合う談合をしていたんじゃないかと思ってしまう。

日本には一見、特権階級があるようには見えないが、あるところにはある。
特権階級にある人は、その特権を一族内で継続させていくためにあの手この手を講じる。
家業が実業であれば、それを継いだ人には経営手腕が求められ、生かすも殺すもその人次第なので納得できるが、そうでない業種の人も多い。
貴族とかそんな人たちだが、それに相当する人たちは自分達は(賄賂をもらうとかの)インチキをしていいと勘違いしてしまうのはなぜなのだろか。
品なく金に群がっているだけの人たちがなぜ上流階級かのように扱われるのはなぜか。
まあ、源氏物語もそのような視点に立って読めばあの頃の貴族達がそんなに品のいい人たちではなかったことを思い出す。

オリンピック委員会などというのも貴族的な人の集まりであり、そうして考えると選手は昔の剣闘士のようなものだが、それでも、平和の祭典が開催されているのはいいことなのだろう。

いずれにしても、このままではモラルハザードによってこの国はダメになってしまうので東京地検特捜部には頑張って世直しをしてほしい。

女子ボクシング入江選手の快挙に拍手

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人間、上手く死ぬのは難しい

2022年09月05日 | 日々思うこと、考えること
マルチーズのコロ(15歳、24日で16歳)、昨夜は寝る前に痛み止めは飲ませておいたが、切れてしまったようで、2時過ぎから鳴き出してしまい、獣医さんから出しておいてもらった痛み止めの注射を打って、3時半ごろにやっと静かになって眠ることができた。

昨日コロの面倒は老犬の介護士さんに見てもった。
以前、フラットコーテッドレトリバーのナイトが明日をもしれないという時にもきてもらったことがあり、コロとはそれ以来の顔見知りの仲。

留守番中のおやつを探していたら、泉屋のクッキーの猫パッケージというのを妻が見つけた。
包装紙はほぼ普通なのに見つけてしまうというように、こういうことに関し、ものすごい才能をもっている。
その老犬の介護士さん、猫が大好きで、思った通り喜んでくれて、缶の絵とクッキーの写真を送ってくれた。

私は、人の介護というものを経験したことがない。
この先、母の介護が必要になったら、いろいろなことが必要になるのだろうと思いながらコロの面倒を見ているが、ありがたいことに今のところは母はとても元気で将来そんなことが必要になるなんて到底思えない。
もちろん、私が介護してもらうことになった時はどんなか、妻の介護をすることになったらどんなかということもうっすらと考える。

人間、上手く死ぬということは難しい。
以前、民生病棟のある病院で仕事をしたことがあるのでわかるが、たいていの人は死ぬ前に見つかってしまうので、野垂れ死など、まず無理だ。
そうなると、今の日本ではどうにかこうにか誰かに見守ってもらいながら死ぬこととなる。

私は、できたら自宅でうまい具合(動けなくなってから一週間ぐらいで)に看取ってもらいたいが、そんなことコントロールできるわけがない。
結局のところ、最後まで自分がよりよく生きようとする意志が大事なんじゃないかと思いながら、今日も明日も生きていくしかない。
人生ああよかったと思えるか

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日本語ができたら日本人はなんとかやっていける

2022年09月04日 | 日本のこと、世界のこと
娘のフィアンセ君を連れて箱根までドライブした。
神奈川県というところは横浜、鎌倉、箱根をはじめとする観光地が近場にあり、外国人を案内するのは比較的簡単で助かる。
だが、その都度思うのは、その地のことを実はよく知らなくて、上手に説明できずに困る。
箱根の関所をCheckpointと表現するなんて、今日まで知らなかった。
関所はSEKISHOだった。
一時が万事こんな感じで、情けなくなるが、日本という国はこの国の中で完結しているので、なんとかなってしまう。

どうしてこんなに資源の乏しい国がかつては世界第2位の経済大国となり、今でも第3位であるのか、今ではよくわからなくなってしまったし、ウクライナ危機を契機に今後、この国が貧しくなっていくかもしれないということ別として、今のところ日本人は日本語だけで生きていける。

フィアンセ君によると、ギリシャ人の教育熱心な家庭の姉弟の多くは英語を勉強するそうだ。
そうして、イギリスに出て職を得ることが生き延びることになるらしい。
それは大変だね、と言ったら、
イタリア人は日本と同様イタリア語しか話せない人がほとんどだと教えてくれた。
イタリアはイタリアだけで完結していられるということのようだ。
国ガチャとしたら、私たち日本人は恵まれている。

芦ノ湖に行ったあと、日帰り温泉に連れて行ってあげたら喜んでくれた。

彼がきてからしばらくは英語を使っていたが、面倒になって最近では娘に通訳をまかせていた。
ところが、男風呂ではさすがにそうもいかない。
そう大したことを話すわけではないが、英語で喋った。

ところで、英語に限ったことではないが、この国に住んでいて外国語が必要になる人は人口の1%いるだろうか?
日常会話で外国語を使うことがまず無い状況で、いったいどこで使えというのか。
こんな状況では、日本人がいくら長期間英語を勉強したところでマスターできるわけがない。
英語を第2公用語にしようという動きもあるが、それぐらいで使えるようになるだろうか。
なにせ、日本人は日本にいる限り日本語だけで全て事足りるのだから。
日本語は難しいらしい

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今日はいい天気だったけど部屋にこもりきりで

2022年09月03日 | 日々思うこと、考えること
台風の影響があるのではないかと思われたが、朝からいい天気。
昨日の発表は上出来とは言えなかったがなんとか終えて、今日はロングランの座長。

オンラインでの学会も普通となってきたが、今日もそれ。
自分の居場所が写らなければ、ベランダのテーブルからやってよかったのだが、座長があるため、ネクタイとジャケットを着て、かつての息子の部屋、今は私の書斎というか娘のフィアンセ君の部屋で1日勉強した。
居眠りしたら大変だと思いながら、窓から見える空の明るさが失われていくのを眺めていた。
最近、気力不足の感があったもののなんとか乗り切り、有意義な1日となった。
ハイビスカス

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2022年8月の読書記録・・・文学の力が失われつつある

2022年09月02日 | 読書、映画、音楽、美術
毎月2日は、読書記録の日と決めているのだけど、今月はうっかりスルーしてしまい、9月6日になってそのことを思い出した。
というのも8月は1冊も読まなかったのだから仕方がない。

読書記録のエントリーは読んでくれる方は少ないのだが、私にとっては読書備忘録、投稿は9月2日としておく。
それにしても、ひと月何も読まないと頭がスカスカになっているのがよくわかる。
論文は2、3本読んだが、それとこれとは別。

死ぬまでに名作をと意気込んでいたのに、この体たらくはウクライナ侵攻のせいで何も信じることができなくなってしまったからか。
文学の持つ可能性というか力が失われつつあるような気がする。

読んだ本の数:0
読んだページ数:0
ナイス数:11



<締めの一言>

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金と票に色はついていない

2022年09月02日 | 日々思うこと、考えること
もう金曜日。
マルチーズのコロ(もうすぐ16歳)の世話であっという間に一週間が過ぎた。
昨晩は夏休みで旅行から帰ってきた娘と一緒に静かに眠っていた。
ヨーグルトはもとより、水分もほとんど受け付けなくなっているが、まだまだ頑張ってくれている。

昨日から新学期が始まり、朝はともかく帰りの電車も大きなリュックを抱えた部活帰りの学生がたくさんいて、うんざりするが、自分が40年前にはこんなだったかと思うと恥ずかしくなる。
最近は私の格好から年齢を推測して中間的なところに空いた席は譲ってくれるようになったが、なにせ座り損ねたら2、30分立ちっぱなしなので、素直に嬉しく、もう少ししたら席を譲ってくれるようになるだろうか。

昨日岸田総理のことをよくやっていると書いたが、夜になって支持率の低さについてのコメントがあったが、この人は”新しい資本主義”に目を通したのだろうかと思いながら読んだ。
世間が何を言ったところで、国は”新しい資本主義”に向かってお金を動かすから、われわれ国民はそれに従った行動をとっていくことになる。

旧統一教会問題および選挙と政治と宗教という一連の問題が、安倍元総理の暗殺を契機に明らかになった。

その教えを広めるために信者を獲得し、そのために金が要って、政治家を利用し、政治家も自らの政治生命維持のためにまた利用するという関係、今さらこのブログで取り上げるのもなんだか気恥ずかしくなる。
せいぜいタイトルにするなら、
金と票には色は付いていない、
というところだが、なんとなく陳腐なのは否めない。

学生時代、”俺の親、熱心な学会員でさ”と私に打ち明けた友人がいたが、今はどうしているのだろうか、選挙の時には支援政党の応援に動いているのだろうか。
こんな、代々信者なんていう人に会うと布教というものがどこからどこまでやっていいものなのかよくわからなくなる。
日本人は宗教をもたないから(よくない)、というようなこともよくでる話だが、こうしてみると宗教に熱心な人というのは意外と多く、そういう人が堂々とそのことを話し、政治活動もするようになるといいような気もする。

どうせ、次の大きな事件が起きるまでのことだろうが、マスコミがこの件をどこまで追求するのかということも興味深い。
人の噂も75日

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岸田内閣の新しい資本主義と来年度予算概算要求

2022年09月01日 | 日本のこと、世界のこと
空は薄暗く、突然大雨が降りまたやんでの繰り返し。
When it rains it pours.
大学受験の時に暗記した慣用句を思い出す。
これがはるか南でうろうろしている台風11号の影響かと思うと、ついでにバラフライエフェクトも。
来年度予算概算要求が明らかとなり、「事項要求」となっている項目の多いことが話題となっている(来年度予算案概算要求 「事項要求」が相次ぎ財源が課題に     2022年9月1日NHK)。
ざっと見たが、岸田内閣が掲げる”新しい資本主義”に沿った内容で、さすが日本の官僚は優秀だ。
この”新しい資本主義”、まとまったものとして出されたのは6月7日となっている。
「事項要求」が多くなってしまったのは時間不足で金額を確定することはできなかったためだろうか。

岸田首相が掲げる”新しい資本主義”について、あれこれ文句を言っている人がいるが、それが果たしてどんなものなのか理解しているのか疑問に思う。
仮にも私たちが”選挙を通じて”選んだ政権が推進する政策、文句を言うなら、まずはその言い分を聞いてからでも遅くはない。

は内閣府のホームページから閲覧可能で、本文だけでも35ページもある夢のような計画だ。
わかりやすく、納得できる内容で、高校の社会系授業のテキストにも使えるような気がした。
そんなことは到底無理なのだろうが、ではオバマ元大統領の演説は英語の教材になるのにどうしてこれはダメなのか、とも思うほど。

日本が今置かれている危機的状況を客観的に認識していて、権威主義的国家群との対決(強権国家とは言わないそうだ)を辞さないことなど、ほかにも岸田内閣は言行一致だと感じる点が多い。
経済政策がおろそかだという指摘があるが、官民連携といういわば国ぐるみで没落しつつあるこの国を立て直そうという基本的コンセプトは重要なのではないか。

昔、

言語明瞭意味不明瞭

という総理大臣がいたが、こうしてみると岸田総理は確かに丁寧に説明していて、意味も明瞭だ。

国葬と統一教会の問題で政治的空白が生じかけているのは残念な話で、そのようなことへの対応よりも、各「事項要求」の精査をした方がいいような気がする。

今後、国の機関は、”新しい資本主義”に沿った予算をたてて各省庁に上げていくだろうが、それらが無駄遣いにならないことを願う。

やっている感よりやっている内閣

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