安倍元首相の国葬が今日行われる。
数日前の天気予報ではぐずついた天気になるということだったが、秋晴れの1日となりそうだ。
死者とは弔うべきものであるという立場から、難病をコントロールしながら8年あまり首相の重責を担ったのち、凶弾に斃れた人の死を悼みたい。
葬儀費用をどうするか、すなわち国葬の是非については今後国会や裁判で決めてもらったらいい。
暗殺された直後は世界中からお悔やみをいただいたものの、すっかり静かになって、ずいぶんこじんまりとしたものになりそうで、イギリスのエリザベス女王の葬儀が世界中に配信されたのとは異なり、国内でも興味を持つ人はわずかとなりそうだ。
後世に残すべき教訓は、自由とか民主主義というののがとても危うく壊れやすいものであり、その中で暮らす私たちにしても常に危険と背中合わせで生きているということだ。
私たちはどこまで国家によってコントロールされるべきなのかはわからないが、ある程度は必要で、それは憲法であり法律とかいう国家が定めたルールに従うということだ。
ウクライナ侵攻が思い通りにいかないでいるロシアでは予備役の動員を開始して、いよいよ抗議活動がおこっているという報道が海外にも漏れ出している。
これは関してはロシアのプーチン大統領がどんどん新しい法律(主に罰則)を出しているそうで(
プーチン大統領 兵役拒否・脱走者に厳罰を科す刑法改正案承認)、それはもう暴君の域に至っている。
こんな法律までもが国家が定めたものというのはどうしたって納得できないし、戦争に駆り出されて、殺されては、一体なんのために生きてきたのだか意味が不明となる。
幸い、日本ではこのようなことは起こりそうもないが、今のように自民党に対抗できるしっかりした野党がいない状況ではその危険はゼロとは言えない。
自民党による一強体制を許しているのは野党がダメだからなのか、有権者である私たちがダメだからなのか、おそらくその両方が招いたことなのだろう。
私たち国民は政治に関心を持って生きていく必要がある。
イタリアではさきの総選挙で極右政党が第1党となった(イタリア総選挙、右派連合が圧勝)。
グローバル経済の1ピースにすぎない国で少々の政策の転換を行ったところで、景気が良くなるわけないから、1年後は元の木阿弥だろうと思うが、こうやって国民が政権を選択することができるということこそが民主主義の根幹だ。
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