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誇り高き戦士(中田英寿)

2007-12-05 20:39:46 | ワールドサッカー
90年代後半から昨年に至るまで、日本サッカーを牽引した存在といえば、引退した中田英寿氏であることに異論はないように思います。マスコミと距離を置く姿勢だったため、誤解を招くことも多かったですが、プレーに関しては申し分なかったと思います。

中田英寿といえば、本当にセリエAで通用するのかと、マスコミが疑心暗鬼だったペルージャ時代の開幕戦、前年優勝のユベントス相手に敗れたとはいえ、2ゴールをたたき込んで、マスコミを黙らせることに成功しました。カズがセリエAに挑戦したときは、スポンサー絡みとの噂が絶えませんでしたが、中田英寿は実力でセリエAにいることを誰もが納得しました。

私は中田英寿の1年目のシーズンの終盤、一度生で見たいと思って、アウェーのフィオレンティーナ戦を見に、フィレンツェまで行きました。3位のフィオレンティーナと、14位のペルージャでは力の差は如何ともしがたく、試合は5-1でフィオレンティーナが大勝しました。

しかし、そんな中でも中田英寿は輝きを放っていました。トップ下にいる中田英寿に、ペルージャの選手はみんな信頼を置いていて、自然とボールが中田英寿のところに集まってきました。ただ、残念だったのは当時のペルージャでは、中田英寿の卓越したサッカーセンスについてこれる選手が一人しかいませんでした。

その選手は、ミラン・ラパイッチと言って、後にクロアチア代表に入っています。この試合を見て、中田英寿のすごさはわかりましたが、それを完全に発揮するためには、トップレベルのチームに移籍する必要があると感じました。その通り、翌年にトップレベルのローマに移籍して、活躍もしましたが、王子様トッティの控えに置かれたのは不運でした。

その後は、下位チームでは活躍し、上位チームではベンチに置かれるという循環で、なかなかトップレベルにたどりつけませんでした。そんな中田英寿にとって、イングランドのボルトンでほとんど試合に出られなかったのは、最大の挫折になりました。

ドイツW杯こそ、主力にふさわしい活躍をしてくれましたが、おそらく来期は欧州のチームと契約するのは難しいということは頭にあったはずです。突然に思えた引退は、中田英寿にとって、キャリアの後退は許せないという意図だったのではと、今は推測しています。
コメント
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