Kobby loves 埼玉&レッズ

埼玉と浦和レッズを愛する管理者のブログです。

俺はもっとできる(ワシントン)

2007-12-20 20:59:44 | 浦和レッズ
最後の試合で2ゴールを決めて、最高の置き土産をくれたワシントン選手の思い出です。私は東京V時代のワシントンも見ていますが、降格したチームで22ゴールとは、ただの選手ではありません。東京V時代のワシントンは、私が見た大宮戦でもゴールを決めていましたが、信じて任せてくれればたぐい稀な決定力を見せてくれるFWというイメージでした。

ただ、当時のワシントンは、浦和と対戦した試合でほとんど完封されています。あまり動くFWではないので、坪井あたりを前からチェックさせて、パスコースを消してやれば、ほとんど存在感がなくなるという欠点がありました。そのため、ワシントンの加入を聞いたときは、他チームに同じ対策を立てられる心配の方が強かったです。

しかし、ポンテと小野伸二が後ろからサポートする、ギドが採用した浦和のシステムではワシントンにボールが入らないということはなくなりました。当時の浦和は組織より個人技で崩すサッカーでしたが、その方がワシントンに合っていたように感じます。ポンテ、小野伸二、ワシントンの3人で何とかするサッカーで、開幕から好調を維持しました。

ワシントンの良いときは、相手を引きずるようなドリブルで強引に突破してゴールを決めるパターンが印象に残っています。また、シュートスピードも速く、多少強引なシュートでも決めてくれました。もともと、持っている能力が高いので、信じて任せてやれば決めてくれる安心感がありました。

しかし、ワシントンにとっては組織サッカーのオジェック監督との出会いは不幸でした。ゼロックス杯でワシントンの個人技サッカーに早々と見切りをつけられてしまい、開幕から永井をアシスト役につけられてしまいました。ワシントンの個人技は封印され、永井や山田がサイドを崩したクロスを、真ん中で待って合わせるという役割がワシントンに与えられることになりました。

確かにこれでもチームは勝ちましたし、ワシントンのゴールも少なくはなかったですが、ブラジル全国選手権得点王の経験があるワシントンは、任せてくれれば自分はもっとできるという不満をため込んでいたと推測します。結果的にはチームの功労者のワシントンを、不本意な形で送り出すのは大変残念です。できれば、フルミネンセをリベルタドーレス杯で優勝させて、南米王者として日本に凱旋する姿が見たいものです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする