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Kobby loves 埼玉&レッズ

埼玉と浦和レッズを愛する管理者のブログです。

中村憲剛の使い方(オールスター)

2009-08-08 21:42:54 | ワールドサッカー
去年、オールスターのJリーグ選抜を率いたオリベイラ監督の采配には冴えがありませんでした。当時は鹿島の監督になってわずか1年半なので、他チームの選手のポジション適性をつかめていないと思えました。それを如実に表すのが、昨年中村憲剛をサイドハーフで使ったことです。

中村憲剛はあまりスピードあるドリブルを見せる選手ではありませんが、キープ力と視野の広さが売り物のMFで、ボランチかトップ下に適性があります。ただ、サイドハーフに置くと視野の半分はタッチラインの外になってしまいますから、持ち味を殺してしまう起用になります。

それで痛い目(Kリーグに1-3で敗戦)に遭ったことで、今年のオリベイラ監督は昨年とは一味違った采配を見せました。まず、しっかりミーティングで指示を出して、カシマスタジアムで戦術練習までしました。去年なら、Jリーグのチームが海外クラブとの親善試合を入れていて選手を集めることすらままならない状況でしたが、今年はJリーグ側も協力しました。

また、中村憲剛の位置も、一番得意なトップ下に入れて、小笠原、明神のダブルボランチに遠藤をサイドに開かせるという、変則的な中盤にしてきました。これは成功しました。先制点のマルキーニョスのゴールは、アシストが中村憲剛です。最も中村憲剛らしい、見事なスペースへのパスです。

対するKリーグ側は、中盤にJリーグ経験者(崔成国[元柏]、金正友[元名古屋]、崔テウク[元清水])が3人も並ぶ、日本のファンにはおなじみの名前が並びました。崔成国も崔テウクも、序盤はサイドをドリブルでどんどん崩し、好ゲームの予感が大いに漂いましたが、今年はKリーグが途中から足が止まり、Jリーグのペースで試合は進みました。その結果が4-1のJリーグ勝利ということになりました。

ジュニーニョ、マルキーニョスの2トップは、夢のコンビのように見えますが、実際にこの二人が同じチームでプレーすることはないなと思ったのも確かです。二人とも、少し引いた位置でボールを受けて、そこからスピードに乗って飛び出して行くのが売り物のFWです。

そのため、一部二人とも引いている時間もあったので、誰かトップの位置に残らないといけないなと思いました。もし、何でもありの最強チームを作りたいなら、間違いなく2トップの一角はケネディ(名古屋)でしょう。彼はまだ来日したばかりで、Jリーグで3試合しか出ていないので選考対象にはなりませんでしたが。
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お疲れ様出島関

2009-08-08 13:15:19 | 他スポーツ
古いネタですが、大相撲の元大関の出島関が名古屋場所を最後に引退しました。出島の四股名は実は本名で、長崎のオランダ商館があった出島から取ったわけではありません。出島の出身地は石川県金沢市で、もともと石川県は横綱輪島を出すなど相撲の盛んな地です。

また、出島といえば中央大学の出身ということも記憶にあります。同級生には法曹界で活躍する人もいるという話です。ただ、それだけの名門大学を出ていながら、出島の取り口は理詰めの四つ相撲ではなく、あくまで出足相撲で一気に持っていくスピード型というところが面白いです。

出島は入門前、「7割は自信がある。しかし残り3割は不安だ」と父親に話したそうです。それを聞いた父親は「7割も自信があるなら、賭けろ。」と背中を押したという話を聞いています。結果的には大関まで出世して、親方として協会に残ることになったのですから、入門して正解だったと言えるでしょう。

ただ、出島が大関に在位していた期間は短く、10勝で復帰できる陥落直後の場所も休場してしまいました。それを考えると、気落ちせずよく35歳まで相撲を取り続けたと、陥落後の頑張りの方を評価したいです。元大関は十両では取らないという不文律がありますから、平幕でも下位の方に来たらプレッシャーも掛かるでしょうが、ちょっと前まで前頭の上位を維持していたのは立派です。

出島の粘りと聞いて思い出すのは、前頭2枚目で上位戦が続いて、初日から8連敗して負け越した場所のことです。普通、8連敗をしてしまうと、精神的に疲れて、結局場所が終わると良くて4勝11敗程度で終わってしまうのですが、出島はなんとそこから7連勝して7勝8敗に持ち込みます。

7勝8敗ということになれば、同じ負け越しでも番付は1~2枚程度しか落ちません。決してマスコミなどには注目されませんが、負け越しが決まった後、どれだけ星を拾えるかは平幕の力士にとっては力士寿命を左右する重要なファクターです。そんな精神的な強さを持っていたことが35歳まで相撲を取れる理由の一つだったのではと思います。

今後は武蔵川部屋の部屋付き親方になるか、将来的には自分の部屋を持ちたいかは情報がありませんが、是非今後の親方としての活躍を期待したいと思います。
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