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Kobby loves 埼玉&レッズ

埼玉と浦和レッズを愛する管理者のブログです。

山田直輝の負傷(8/15G大阪対浦和)

2009-08-15 22:34:54 | 浦和レッズ
まずはロスタイムの失点場面からですが、阿部勇樹がゴールの中に入ってクリアしてから播戸に拾われてシュートされたプレーは誰も責められません。都築もそれまで再三決定的なものを止めていましたし、阿部勇樹にしてもあの体勢からタッチラインを切れと言われても無理でしょう。

ただ、その前のプレーには見過ごせないものもあります。左からのアーリークロスがワンバウンドしたところを、阿部勇樹がマークについていた播戸を離してしまっているのですが、これはもしバウンドさせずにヘディングできるなら切らないといけないシーンですし、最悪届かなくても播戸の動きは監視していないといけません。

しかし、この試合が勝てた試合かといえば、せいぜいスコアレスドローに持ち込むのが手一杯だった気はします。理由は山田直輝の負傷です。オールスターを欠場するほどの負傷を抱えた山田直輝のスタメン起用は、一つの賭けだったと思いますが、立ち上がりの浦和は解説の川勝良一さんが絶賛するほどの試合運びをしていました。

確かに、なかなかシュートには至りませんでしたが、ここ数試合見られたサイドでボールを失ってのカウンターはそれほどありませんでしたし、山田直輝はうまくボールを引き出してチームの「潤滑油」的な活躍をしていました。

この日、ポンテがベンチスタートでしたが、おそらく後半の10分過ぎくらいに原口か高原を下げて、山田直輝とポンテを組ませることで、G大阪の最終ラインの裏を狙おうとフィンケ監督は考えていたのではと思います。それが、山田直輝の負傷で、山田直輝に代えて前半からポンテを出さざるを得なくなったのは、浦和にとって痛い誤算でしょう。

また、闘莉王を攻撃的な位置で使う策ですが、闘莉王のコンディションが想像以上に悪かったです。もともと、闘莉王は運動量の多い選手ではないので、昨年ボランチで出たときも足が止まってチームに迷惑をかけていました。それを考えると、中途半端なMFではなく、完全にFWにしてアーリークロスを次々放り込むしか、闘莉王を生かす手はなかったのではと思います。

そのあたりは、昨年からコーチングスタッフが総入れ替えになっているので、昨年の起用状況が伝わっていない、ベンチ側のミスもあったのかもしれません。
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川越の街

2009-08-15 09:30:39 | 埼玉
今回、朝ドラの「つばさ」で話題になっている、川越の街をネタにします。川越といえば時の鐘と蔵造りの街という方が有名になっていますが、実際は城下町として栄えた街でした。関東の北部は、江戸の守りのポイントとして、親藩や譜代大名が置かれることが多く、古河(茨城県)、関宿(千葉県)らとともに、川越も守りの拠点でした。

ただ、川越城は江戸になってから作られた城ではありません。戦国時代も「河越夜戦」という戦争の舞台になっています。それは、川越という町の特性があります。川越は、ドラマにも何度か登場している新河岸川が町の3分の2周して流れている町です。しかも、本丸のあたりは自然に高くなっています。

つまりは「天然の要害」ということで、城を守る籠城戦に強い、守りやすい地ということが言えます。また、新河岸川も以前は舟が行き来する川で、これで下流の江戸と交易も盛んだった地です。城下町としても、商人の町としても、適性のある町で、ここに人が集まってくるのは必然だったわけです。

ただ、この川越は、どうしても新河岸川に囲まれた内側は発展しましたが、その外側は発展しにくい町でした。そのため、明治以降になると、東北線や高崎線の開通した浦和や大宮の方が大きな町になり、川越は埼玉の中心ではなくなりました。今の蔵造り通りは、明治時代の「川越大火」の後にできた町並みです。

ただ、極端に「開発重視」の都市計画をされていなかったことと、東武東上線の川越駅が町の南西部にできたことで、蔵造り通りは現在まで残っています。「小江戸川越」の愛称は江戸城から将軍家光誕生の間などが移築されて喜多院に残っていることもあるでしょうが、この蔵造り通りがあることも大きいです。
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