噂では上っていましたが、西武黄金時代の頭脳と呼ばれていた元名捕手の伊東勤氏が来季からロッテの監督になります。バレンタイン監督を除いて比較的生え抜きを重用するロッテにしては思い切った人事で、コーチ陣にも西武黄金時代の頭脳も加わると思います。
伊東の現役時代の思い出は打率はだいたい2割5分くらいと平凡でしたが、犠打と打点の数が多い強力な8番打者でした。当時の西武では7番の安部が出塁するのは結構なチャンスで、伊東が送って9番の辻につなげば点になることが多かった思い出があります。
また、野球は大抵投手で勝つか打線で勝つかのどちらかですが、伊東の場合捕手が試合を勝たせることもあるという例を見せてくれました。当時の先発投手はローテーションの谷間の竹下で、しかも竹下自身の出来もいいとは言えず、ストライクを取るのにも苦労していました。
そんな竹下を見た伊東は、さまざまなコースにさまざまな球種のボールを投げさせました。ストレートはまったくばらばらだった竹下ですが、アウトコースのカーブならストライクが取れることに伊東は気付きます。このカーブを、時にはカウントを整えに使ったり、時には決め球に使ったりして、ばらついてどうしようもないストレートも見せ球に使ってとうとう竹下を7回まで引っ張ることに成功します。
当時、西武は慶応大学から即戦力捕手の高木大成を獲得していて、伊東が衰えれば高木大成に捕手を変えることは考えていたでしょうが、このインサイドワークが効いて高木大成は一塁に回り、伊東は正捕手の座を40歳まで守ります。
監督としての伊東は、森野球の正統な後継者的な采配を見せる監督で、俊足、巧打の外野手を置きたがる傾向があります。当時、俊足の佐藤、赤田の1,2番コンビで守備重視の野球をしていました。渡辺現西武監督のように森野球の後継者とはとても思えない攻撃采配を見せる監督とは違って、ロッテでもまず守りからチームを作っていくと思います。
しかし、球団職員時代から西武一筋で、西武以外のユニフォームを着たことがない伊東がロッテのユニフォームを着るのには、見慣れるまで時間がかかるでしょう。緻密な野球が好みの伊東を敵に回すと怖いだろうなと、来季のロッテ戦をちょっと恐れています。
伊東の現役時代の思い出は打率はだいたい2割5分くらいと平凡でしたが、犠打と打点の数が多い強力な8番打者でした。当時の西武では7番の安部が出塁するのは結構なチャンスで、伊東が送って9番の辻につなげば点になることが多かった思い出があります。
また、野球は大抵投手で勝つか打線で勝つかのどちらかですが、伊東の場合捕手が試合を勝たせることもあるという例を見せてくれました。当時の先発投手はローテーションの谷間の竹下で、しかも竹下自身の出来もいいとは言えず、ストライクを取るのにも苦労していました。
そんな竹下を見た伊東は、さまざまなコースにさまざまな球種のボールを投げさせました。ストレートはまったくばらばらだった竹下ですが、アウトコースのカーブならストライクが取れることに伊東は気付きます。このカーブを、時にはカウントを整えに使ったり、時には決め球に使ったりして、ばらついてどうしようもないストレートも見せ球に使ってとうとう竹下を7回まで引っ張ることに成功します。
当時、西武は慶応大学から即戦力捕手の高木大成を獲得していて、伊東が衰えれば高木大成に捕手を変えることは考えていたでしょうが、このインサイドワークが効いて高木大成は一塁に回り、伊東は正捕手の座を40歳まで守ります。
監督としての伊東は、森野球の正統な後継者的な采配を見せる監督で、俊足、巧打の外野手を置きたがる傾向があります。当時、俊足の佐藤、赤田の1,2番コンビで守備重視の野球をしていました。渡辺現西武監督のように森野球の後継者とはとても思えない攻撃采配を見せる監督とは違って、ロッテでもまず守りからチームを作っていくと思います。
しかし、球団職員時代から西武一筋で、西武以外のユニフォームを着たことがない伊東がロッテのユニフォームを着るのには、見慣れるまで時間がかかるでしょう。緻密な野球が好みの伊東を敵に回すと怖いだろうなと、来季のロッテ戦をちょっと恐れています。