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日本シリーズの思い出

2012-10-29 18:46:59 | 他スポーツ
私は西武ファンということもあって、80年代後半から90年代前半にかけての西武黄金時代には、日本シリーズといえば全国に西武というチームをアピールするチャンスと思っていました。実際、当時は西武が日本シリーズに出るのは当たり前だった時代です。

当時の主力選手は実力以上に知名度が上がったのも確かです。当時のエースだった現西武監督の渡辺久信もその中の一人で、ナベQという別名が全国で通じるほどでした。渡辺久信は100勝を達成した一流投手の一人ですが、全盛期は短かったので、日本シリーズに出ていたからこその知名度だったと思います。

同時期にパリーグの他球団のエースだった阿波野(近鉄)や西崎(日本ハム)あたりと比較すれば、渡辺久信の知名度は抜群です。当時は日本シリーズといえば、野球少年の誰もが憧れる晴れ舞台で、当時は平日の昼間という困難な条件があった試合ですが、学校にラジオを持ち込んで聞いていたことを思い出します。

1994年にはメジャーリーグのストライキで100年以上の歴史を誇るワールドシリーズが史上初めて中止になった異常事態がありました。当時、アメリカの野球ファンが代わりに目をつけたのが日本シリーズで、アメリカのスポーツ情報誌のスポーツイラストレイティッドの表紙に当時日本シリーズ第1戦の先発だった渡辺久信が載ったことがあります。

これは西武ファンとしてはアメリカにライオンズの名前をアピールした快挙で、渡辺久信が日本野球の代表だった事実には誇りを感じました。もっとも、渡辺久信自身にとっての日本シリーズの思い出は何度も勝ち投手になったことやスポーツイラストレイティッドに載ったことではないところが面白いです。

プロ野球選手は皆、悔いを残してやめているんだなというのは、渡辺久信の最大の思い出が打たれた1997年の日本シリーズ第1戦のリリーフ登板だった事実から察します。当時は日本シリーズで先発するほどの力はなくなっていた渡辺久信ですが、リリーフで出番をもらったヤクルトとの日本シリーズはチャンスだと思っていたはずです。

しかし、当時の日本シリーズでホームランを打たれた渡辺久信は、その後戦力外通告を受け、選手としては下降線をたどることになります。できることならいつまでも現役を続けたいというのが皆の思いで、それを断たれた瞬間というのは忘れないものなのでしょう。
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