C大阪戦で途中出場して、ギドが持っていた浦和の最年長出場記録を塗り替えた山田暢久選手の話題です。永田の負傷で急遽リベロに入った暢久は、以前ボランチで出ていたときに課題だった持ちすぎが嘘のようにベテランらしく確実にプレーして最終ラインに落ち着きをもたらしました。
暢久は1994年入団の浦和ではダントツの古株で、その次は2000年入団の鈴木啓太ですからその選手寿命の長さは驚異的です。暢久がここまでプレーできたのは器用さが大きな理由で、毎年のように違うポジションを試されても適応して必ず試合には出ていたからです。
しかし、今年の暢久は膝の負傷のため試合に出られず、初めて試合に出られないシーズンを過ごすことになりました。来季の契約は微妙な立場ですが、出番を得たらサポーターの印象に残るプレーをするところはさすが暢久です。
暢久といえば、32歳まで肉離れの経験がないという良質な筋肉を誇ります。初めて肉離れをしたときは、本人に筋肉系の負傷のノウハウがないため、アスレチックトレーナーの野崎氏によれば「精神的に落ち着かせることに気を使った」そうです。
暢久はDFで出場すると、抜かれると諦めて追わないという大きな欠点があるので、浦和サポの中には暢久が好きでない方もいるでしょう。高い身体能力を誇りながら、その精神的なムラで常時ベストのパフォーマンスを出せない、少し歯がゆい選手でした。
それでも、乗っているときは驚異的なスーパープレーを見せてくれたことは忘れません。退場者を出した数的不利のときになると飛び出すキレのあるドリブルは、浦和の秘密兵器の一つでした。
また、暢久といえば、ギドが監督のときに悲願のトップ下に置いてもらったことも思い出します。ポンテ、ワシントンと組んだ暢久は走り回ってボールを引き出し、彼ら外国人選手のいいところをうまく引き出しました。
右アウトサイドが多かった若き日の暢久の記憶が、どうしても古株サポの私には印象的ですが、どこでも当たり前のようにこなしてしまうベテランとしての暢久もいい選手です。そんな暢久のプレーを見られただけでも、C大阪戦を見た価値はあったでしょう。
暢久は1994年入団の浦和ではダントツの古株で、その次は2000年入団の鈴木啓太ですからその選手寿命の長さは驚異的です。暢久がここまでプレーできたのは器用さが大きな理由で、毎年のように違うポジションを試されても適応して必ず試合には出ていたからです。
しかし、今年の暢久は膝の負傷のため試合に出られず、初めて試合に出られないシーズンを過ごすことになりました。来季の契約は微妙な立場ですが、出番を得たらサポーターの印象に残るプレーをするところはさすが暢久です。
暢久といえば、32歳まで肉離れの経験がないという良質な筋肉を誇ります。初めて肉離れをしたときは、本人に筋肉系の負傷のノウハウがないため、アスレチックトレーナーの野崎氏によれば「精神的に落ち着かせることに気を使った」そうです。
暢久はDFで出場すると、抜かれると諦めて追わないという大きな欠点があるので、浦和サポの中には暢久が好きでない方もいるでしょう。高い身体能力を誇りながら、その精神的なムラで常時ベストのパフォーマンスを出せない、少し歯がゆい選手でした。
それでも、乗っているときは驚異的なスーパープレーを見せてくれたことは忘れません。退場者を出した数的不利のときになると飛び出すキレのあるドリブルは、浦和の秘密兵器の一つでした。
また、暢久といえば、ギドが監督のときに悲願のトップ下に置いてもらったことも思い出します。ポンテ、ワシントンと組んだ暢久は走り回ってボールを引き出し、彼ら外国人選手のいいところをうまく引き出しました。
右アウトサイドが多かった若き日の暢久の記憶が、どうしても古株サポの私には印象的ですが、どこでも当たり前のようにこなしてしまうベテランとしての暢久もいい選手です。そんな暢久のプレーを見られただけでも、C大阪戦を見た価値はあったでしょう。