最近のサッカーニュースでは、元スウェーデン代表インゲソン氏の死去は驚きでした。まだ46歳と若いのですが、がんだったそうです。インゲソンは現役時代はボランチでした。1994年アメリカW杯でスウェーデン代表を3位に導いた偉大な選手です。
あの当時は私はサッカーをわかっていなかったので、インゲソンが攻撃的なボランチか守備的なアンカーかの記憶はありません。ただ、あの当時のアメリカW杯は40度近い酷暑の中で行われたので、選手の動きは全般的に鈍い印象でした。
多分、別の機会でインゲソンを見れば印象は変わったと思いますが、残念ながらインゲソンを見たのはこのときだけです。クラブレベルではセリエAのバリでプレーしていました。当時はボスマン判決の前だったので、EU枠内でも5人の外国人枠がありました。EU内に外国人枠がない今の時代ならもっとビッグクラブでプレーできたと思います。
当時のスウェーデン代表は、サッカーを見始めたばかりだった私に、サッカーの見方を教えてくれた教本でした。スウェーデンはサイドハーフのテルン、ブロリンのところでボールを落ち着かせ、右SBローランド・ニルソン、左SBリュングを上げる攻撃参加が武器でした。
ターゲットには長身のKアンデションがいて、アーリークロスでも合わせられますし、こぼれ球には運動量の多いダーリンが拾う、理詰めのサッカーをしていました。当時から、代表選手の所属チームを調べる習慣が始まりましたが、GKのラベリ以外はほとんど海外組で、テルンはローマ、ダーリンはドイツのボルシアMGでした。現在のイブラヒモビッチのようなワールドクラスこそいませんが、サッカーの持っている組織力の面白さを、サッカーを見始めたばかりの私に教えてくれました。
当時はハイビジョンのなかった時代なので、今では考えられないでしょうが、引きの映像では背番号が映らず、誰が誰だかわからない時代でした。スウェーデンの戦術がわかったのはアップの映像を多用したからです。映像技術という意味でも、さすがW杯という楽しさは堪能できました。最後になりますが、インゲソン氏の冥福を祈ります。
あの当時は私はサッカーをわかっていなかったので、インゲソンが攻撃的なボランチか守備的なアンカーかの記憶はありません。ただ、あの当時のアメリカW杯は40度近い酷暑の中で行われたので、選手の動きは全般的に鈍い印象でした。
多分、別の機会でインゲソンを見れば印象は変わったと思いますが、残念ながらインゲソンを見たのはこのときだけです。クラブレベルではセリエAのバリでプレーしていました。当時はボスマン判決の前だったので、EU枠内でも5人の外国人枠がありました。EU内に外国人枠がない今の時代ならもっとビッグクラブでプレーできたと思います。
当時のスウェーデン代表は、サッカーを見始めたばかりだった私に、サッカーの見方を教えてくれた教本でした。スウェーデンはサイドハーフのテルン、ブロリンのところでボールを落ち着かせ、右SBローランド・ニルソン、左SBリュングを上げる攻撃参加が武器でした。
ターゲットには長身のKアンデションがいて、アーリークロスでも合わせられますし、こぼれ球には運動量の多いダーリンが拾う、理詰めのサッカーをしていました。当時から、代表選手の所属チームを調べる習慣が始まりましたが、GKのラベリ以外はほとんど海外組で、テルンはローマ、ダーリンはドイツのボルシアMGでした。現在のイブラヒモビッチのようなワールドクラスこそいませんが、サッカーの持っている組織力の面白さを、サッカーを見始めたばかりの私に教えてくれました。
当時はハイビジョンのなかった時代なので、今では考えられないでしょうが、引きの映像では背番号が映らず、誰が誰だかわからない時代でした。スウェーデンの戦術がわかったのはアップの映像を多用したからです。映像技術という意味でも、さすがW杯という楽しさは堪能できました。最後になりますが、インゲソン氏の冥福を祈ります。