日米野球が先日まで行われていました。侍ジャパン(野球日本代表)の強化試合にしたのはいいアイディアで、以前はファンサービスの「残業」と思われていたイベントを、日本代表入りのアピールの場に変えたので、選手は本気でプレーしています。
今回の侍ジャパンではセカンドの菊池(広島)が守備のうまさで全国区にアピールしましたが、同じように日米野球で全国区にアピールした選手として、当時松井秀喜より背が低い理由で「リトルマツイ」の愛称がついた松井稼頭央選手(現楽天)の思い出です。
松井稼頭央はPL学園から西武にドラフト3位で指名されました。高校時代は投手でしたが、西武は最初から野手として育てるつもりでの指名でした。松井稼頭央が遊びでマウンドに立ったら147kmが出たというエピソードがあります。
松井稼頭央にとって幸運だったのは、当時の西武が世代交代を進めている時期で、事実入団一年目から当時1億円の年俸をもらっていた田辺徳男(現西武監督)を控えに回して、リーグ後半戦で遊撃手として出番を得ます。もっとも、当時の成績は2割5分、1本塁打でレギュラーを確約できる成績ではありませんでした。
しかし、その成績の内訳を分析した当時の東尾監督が、右投手相手の打率が1割台ということに気付きます。それなら、松井稼頭央の足を生かしてスイッチヒッターにすれば、1割台よりは打率を稼いでくれるだろうと判断して、松井稼頭央は翌年からスイッチヒッターになります。
東尾監督から、キャンプの「特別強化指定選手」に指名されて、左打席を猛特訓した松井稼頭央は、翌年から遊撃手のレギュラーに定着します。松井稼頭央の優れているところは、スイッチヒッターにありがちな当てるだけの「走り打ち」のレベルで満足せず、連日練習して左打席でも右打席と同じレベルのスイングスピードを身につけたことです。
松井稼頭央は積極的に打って出るタイプの打者で、四死球が少なく三振が多い傾向があります。それを承知で使ったからこそ、メジャーリーグに行く前は30本塁打を打てる打者になりました。メジャーリーグでもロッキーズ時代にワールドシリーズに出場するなど、一時代を作った名選手です。今は楽天のキャプテンで、ライバルではありますが頑張って欲しいです。
今回の侍ジャパンではセカンドの菊池(広島)が守備のうまさで全国区にアピールしましたが、同じように日米野球で全国区にアピールした選手として、当時松井秀喜より背が低い理由で「リトルマツイ」の愛称がついた松井稼頭央選手(現楽天)の思い出です。
松井稼頭央はPL学園から西武にドラフト3位で指名されました。高校時代は投手でしたが、西武は最初から野手として育てるつもりでの指名でした。松井稼頭央が遊びでマウンドに立ったら147kmが出たというエピソードがあります。
松井稼頭央にとって幸運だったのは、当時の西武が世代交代を進めている時期で、事実入団一年目から当時1億円の年俸をもらっていた田辺徳男(現西武監督)を控えに回して、リーグ後半戦で遊撃手として出番を得ます。もっとも、当時の成績は2割5分、1本塁打でレギュラーを確約できる成績ではありませんでした。
しかし、その成績の内訳を分析した当時の東尾監督が、右投手相手の打率が1割台ということに気付きます。それなら、松井稼頭央の足を生かしてスイッチヒッターにすれば、1割台よりは打率を稼いでくれるだろうと判断して、松井稼頭央は翌年からスイッチヒッターになります。
東尾監督から、キャンプの「特別強化指定選手」に指名されて、左打席を猛特訓した松井稼頭央は、翌年から遊撃手のレギュラーに定着します。松井稼頭央の優れているところは、スイッチヒッターにありがちな当てるだけの「走り打ち」のレベルで満足せず、連日練習して左打席でも右打席と同じレベルのスイングスピードを身につけたことです。
松井稼頭央は積極的に打って出るタイプの打者で、四死球が少なく三振が多い傾向があります。それを承知で使ったからこそ、メジャーリーグに行く前は30本塁打を打てる打者になりました。メジャーリーグでもロッキーズ時代にワールドシリーズに出場するなど、一時代を作った名選手です。今は楽天のキャプテンで、ライバルではありますが頑張って欲しいです。