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努力で築いた横綱(北勝海)

2016-06-01 23:05:26 | 他スポーツ
今日のブログはネタがないので、困ったときは昔の力士ということで、現相撲協会理事長の元横綱北勝海(ほくとうみ)の思い出です。北勝海は北海道の十勝地方の出身で、関脇までは本名の保志で取っていました。突き押し相撲で闘争心で勝負するタイプで、初挑戦で横綱隆の里に張り手を何発も見舞った伝説があります。

大横綱、千代の富士と同じ九重部屋だったので、千代の富士と北勝海の三番稽古は壮絶だったと聞きます。それほど上背もなかった北勝海が、横綱まで出世できたのはその猛げいこが理由と言われています。当時の師匠、北の富士が懐かしんで「あの稽古ができる現役力士はいないな」と口にするほどです。

北勝海は優勝回数8回と、横綱としては合格点の数字ですが、イメージとしては千代の富士の休場時に強かった記憶です。九重部屋の9連覇は、千代の富士休場時に北勝海が穴を確実に埋めていたからこその記録です。当時、大横綱千代の富士の休場時は、いろんな力士がチャンスだと目の色変えて優勝を狙いましたが、その場所に強かったのが北勝海です。

北勝海を強くした、その猛稽古でしたが、その反動が出てか横綱になってから慢性的な腰痛に苦しめられることになります。当時、冷凍療法といって、腰を冷やして逆療法で腹筋、背筋運動を繰り返すという治療法に挑んだこともあります。今なら手術するなどの対策が取られるのでしょうが、当時まだ医学の進歩はそこまで追い付いていませんでした。

それもたたって、北勝海は28歳という若すぎる引退を強いられることになりました。取り口の思い出は、当たりの強さと、時折変化を食って土俵に手を付くことがあったことです。それだけ、立ち合いの強さが武器の力士には諸刃の剣のようなことがあり、「なぜだ」というような見出しがタブロイド紙に載ることもありました。

今は相撲協会の理事長です。こういう、努力で地位を築いたタイプの理事長なら、いろんな力士に気を遣うこともできるかもしれません。秋場所あたり、協会ご挨拶で写真も狙ってみようと思います。
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