たくさんの日本代表の国際Aマッチを見てきた私ですが、最多の相手は4回の豪州です。2001年コンフェデ杯、2009年、2013年、2017年W杯予選と、いずれも大事な試合です。その試合の中で、3試合に出ていたライバルFW、ティム・ケーヒル選手の思い出です。彼も37歳ということもあり、書くのはこれが最後だろうと思います。
彼の名を初めて知ったのは、豪州がアジア連盟に移ってきた、2007年のアジアカップでした。ケーヒルは途中出場してきましたが、中盤に置くとパスの精度が低すぎて、正直「なぜこんな下手な選手が代表?」と思ったことを覚えています。
その理由は、「とにかく点だけは取る」というプレースタイルでした。2009年の当時はケーヒルがスタメンFWで、日本DFと肉弾戦を演じ、何とかフリーになろうとしていたプレーを目の前で見ていました。彼の特徴は、相手DFのマークを外す瞬間的なスピードでした。そのスピードに驚いた相手が、少しマークを外した隙が、彼の狙い目でした。
この能力があったからこそ、ケーヒルはプレミアリーグのエバートンで、外国人選手の最多得点の記録を持っています。それでも、肉弾戦を多く演じたこともあって、彼のプレースタイルはカードと紙一重でした。エバートン時代にも、大事な試合とされているリバプールとの「マージーサイドダービー」で2度の退場という不名誉な記録も持っています。
そのため、W杯本大会ではやはりレッドカードは怖いという理由で、ケーヒルは途中出場が多かった印象です。それでも、2009年のW杯予選のアウェイの最終戦で、マークについていた阿部勇樹を振り切って決めた2得点は、今でも思い出す苦い思い出です。もちろん、肉弾戦を演じてフリーになったチャンスを外さない技術は持っていました。
2015年のアジアカップの優勝では、地元ファンから熱い声援を受けたケーヒルですが、今でも豪州の地元リーグでプレーしています。こういうタイプは点を取れなくなったら引退なので、点を取り続けることで現役生活を延ばすしかありません。そういう、異色のFWが育つのも、うまさを求める日本とは文化が違うと感じます。
彼の名を初めて知ったのは、豪州がアジア連盟に移ってきた、2007年のアジアカップでした。ケーヒルは途中出場してきましたが、中盤に置くとパスの精度が低すぎて、正直「なぜこんな下手な選手が代表?」と思ったことを覚えています。
その理由は、「とにかく点だけは取る」というプレースタイルでした。2009年の当時はケーヒルがスタメンFWで、日本DFと肉弾戦を演じ、何とかフリーになろうとしていたプレーを目の前で見ていました。彼の特徴は、相手DFのマークを外す瞬間的なスピードでした。そのスピードに驚いた相手が、少しマークを外した隙が、彼の狙い目でした。
この能力があったからこそ、ケーヒルはプレミアリーグのエバートンで、外国人選手の最多得点の記録を持っています。それでも、肉弾戦を多く演じたこともあって、彼のプレースタイルはカードと紙一重でした。エバートン時代にも、大事な試合とされているリバプールとの「マージーサイドダービー」で2度の退場という不名誉な記録も持っています。
そのため、W杯本大会ではやはりレッドカードは怖いという理由で、ケーヒルは途中出場が多かった印象です。それでも、2009年のW杯予選のアウェイの最終戦で、マークについていた阿部勇樹を振り切って決めた2得点は、今でも思い出す苦い思い出です。もちろん、肉弾戦を演じてフリーになったチャンスを外さない技術は持っていました。
2015年のアジアカップの優勝では、地元ファンから熱い声援を受けたケーヒルですが、今でも豪州の地元リーグでプレーしています。こういうタイプは点を取れなくなったら引退なので、点を取り続けることで現役生活を延ばすしかありません。そういう、異色のFWが育つのも、うまさを求める日本とは文化が違うと感じます。