今日はネタがないので穴埋めネタで、これまで岡崎慎司が不動の存在だった1トップのポジションを奪う勢いのFW、大迫勇也選手の記憶です。大迫勇也は鹿児島城西高校で、高校選手権最多得点記録である10得点を記録し、大きな期待を受けて鹿島アントラーズに入団しました。もっとも、高校選手権当時はヘディングでのゴールが1点もないという課題があり、即戦力というわけにはいかない過去がありました。
鹿島では比較的早く出てきました。2年目で早くも背番号9をもらうほどで、当時は興梠(現浦和)とのコンビが多かった記憶です。ターゲットタイプの大迫の周りを興梠が動くという、このコンビは機能していた印象があります。日本代表でも、当時激戦区だったザックジャパンの1トップを、岡崎慎司、柿谷曜一朗らと争い、ブラジルW杯にも出場しています。
もっとも、大迫の良さがわかってきたのは、ケルンでのプレーを見たからです。大迫は2部の1860ミュンヘンに移籍して、そこでの活躍を評価されて名門のケルンに移籍することができましたが、ケルンでの大迫のプレーを見ていると得点だけがFWのアピールポイントではないと感じます。
大迫は当時、フランス人ストライカーのモデストと2トップを組んでいましたが、二桁得点はモデストの役割で、大迫はそれほど点を取っていませんでした。しかし、大迫は外されない信頼を勝ち得ていました。その理由として、大迫の足元がうまく、ボールを収めてモデストに点を取らせる動きが優れていた点が挙げられます。大迫のところで収めてから、モデストが裏のスペースに走る攻撃で、ケルンは残留争いをしないで済む位置にいました。
ハリル監督の日本代表でも、大迫の役割はこれと似ていました。大迫の代表でのポジションは1トップですが、その足元のうまさを生かしてボールを収めて、スピードのある久保裕也や原口元気を走らせる攻撃を機能させることができていました。会心の試合だった、ホームのサウジアラビア戦は大迫効果とも言える試合でした。
おそらく、ロシアW杯でも大迫がFWの中心になるでしょう。ポストプレーと言っても実際は「前線のゲームメーカー」のような存在なので、コンビを組む選手の能力が試されます。この攻撃が、世界に通用するように、これからの親善試合でコンビを合わせていって欲しいと願います。
鹿島では比較的早く出てきました。2年目で早くも背番号9をもらうほどで、当時は興梠(現浦和)とのコンビが多かった記憶です。ターゲットタイプの大迫の周りを興梠が動くという、このコンビは機能していた印象があります。日本代表でも、当時激戦区だったザックジャパンの1トップを、岡崎慎司、柿谷曜一朗らと争い、ブラジルW杯にも出場しています。
もっとも、大迫の良さがわかってきたのは、ケルンでのプレーを見たからです。大迫は2部の1860ミュンヘンに移籍して、そこでの活躍を評価されて名門のケルンに移籍することができましたが、ケルンでの大迫のプレーを見ていると得点だけがFWのアピールポイントではないと感じます。
大迫は当時、フランス人ストライカーのモデストと2トップを組んでいましたが、二桁得点はモデストの役割で、大迫はそれほど点を取っていませんでした。しかし、大迫は外されない信頼を勝ち得ていました。その理由として、大迫の足元がうまく、ボールを収めてモデストに点を取らせる動きが優れていた点が挙げられます。大迫のところで収めてから、モデストが裏のスペースに走る攻撃で、ケルンは残留争いをしないで済む位置にいました。
ハリル監督の日本代表でも、大迫の役割はこれと似ていました。大迫の代表でのポジションは1トップですが、その足元のうまさを生かしてボールを収めて、スピードのある久保裕也や原口元気を走らせる攻撃を機能させることができていました。会心の試合だった、ホームのサウジアラビア戦は大迫効果とも言える試合でした。
おそらく、ロシアW杯でも大迫がFWの中心になるでしょう。ポストプレーと言っても実際は「前線のゲームメーカー」のような存在なので、コンビを組む選手の能力が試されます。この攻撃が、世界に通用するように、これからの親善試合でコンビを合わせていって欲しいと願います。