先日の鳥栖戦の練習で、浦和レッズのトップチームのコーチになったかつての浦和MF、池田伸康さんの姿を見かけました。伸康といえば昔の弱かった時代の浦和にとって、救いをもたらす存在でした。切れのある走りで相手に1対1で勝つことで、圧倒的に弱かった1993年や1994年に勝った試合も何度かありました。
池田伸康の名前を未だに憶えている理由は、1994年の国立競技場の横浜F戦で見せた「お焼香パフォーマンス」です。ボランチで起用された伸康が、するすると上がっていって決めた得点で、当時V川崎にいたビスマルクの「神様パフォーマンス」の向こうを張って見せたのがこれです。「自分は仏教なのでお焼香です」とマスコミに語っていたのを思い出します。
しかし、伸康といえば負傷が多かったというイメージもあります。レッズフェスタのときはいつも明るい性格で盛り上げるのに、シーズンをフル稼働できることはなく、いつも「能力はあるのに惜しい」と思われていた選手でした。それでも、そのキレのある走りは歴代監督に重宝され、山田暢久の控えの右アウトサイドの一番手に置かれていた時期もあります。
伸康は1999年の磐田戦で、小野伸二のアシストで浦和での最後のゴールを決めると、その後は川崎F、水戸へと移籍し、2002年シーズンを最後に現役生活に別れを告げます。引退と同時に、当時始まったばかりだったハートフルクラブの初代コーチとして、元レッズMFの渡辺隆正氏とともに子供たちを盛り上げる役割に着きます。
指導者としては、原口元気をジュニアユース時代に育てた実績があります。当時の原口元気は、少年時代から天才少年と騒がれた才能でしたが、まだまだチームのために戦うという姿勢に課題がありました。そんな原口元気にチームプレーを教え込み、その後ドイツに移籍するほど順調に育てることができたのは伸康の貢献もあったと思います。
今回、ミシャの退任で一緒に退任したコーチが出て、トップチームのコーチが足りなくなったことで、トップチームのコーチにシーズン途中で急遽就任することになりました。久しぶりに見たことは嬉しかったですが、コーチとしてはまだまだこれからなので、今後の活躍に期待したいです。
池田伸康の名前を未だに憶えている理由は、1994年の国立競技場の横浜F戦で見せた「お焼香パフォーマンス」です。ボランチで起用された伸康が、するすると上がっていって決めた得点で、当時V川崎にいたビスマルクの「神様パフォーマンス」の向こうを張って見せたのがこれです。「自分は仏教なのでお焼香です」とマスコミに語っていたのを思い出します。
しかし、伸康といえば負傷が多かったというイメージもあります。レッズフェスタのときはいつも明るい性格で盛り上げるのに、シーズンをフル稼働できることはなく、いつも「能力はあるのに惜しい」と思われていた選手でした。それでも、そのキレのある走りは歴代監督に重宝され、山田暢久の控えの右アウトサイドの一番手に置かれていた時期もあります。
伸康は1999年の磐田戦で、小野伸二のアシストで浦和での最後のゴールを決めると、その後は川崎F、水戸へと移籍し、2002年シーズンを最後に現役生活に別れを告げます。引退と同時に、当時始まったばかりだったハートフルクラブの初代コーチとして、元レッズMFの渡辺隆正氏とともに子供たちを盛り上げる役割に着きます。
指導者としては、原口元気をジュニアユース時代に育てた実績があります。当時の原口元気は、少年時代から天才少年と騒がれた才能でしたが、まだまだチームのために戦うという姿勢に課題がありました。そんな原口元気にチームプレーを教え込み、その後ドイツに移籍するほど順調に育てることができたのは伸康の貢献もあったと思います。
今回、ミシャの退任で一緒に退任したコーチが出て、トップチームのコーチが足りなくなったことで、トップチームのコーチにシーズン途中で急遽就任することになりました。久しぶりに見たことは嬉しかったですが、コーチとしてはまだまだこれからなので、今後の活躍に期待したいです。