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忘れ得ぬ代表戦(1997年日本対韓国)

2018-01-19 23:35:59 | ワールドサッカー
代表戦の思い出ですが、1997年フランスW杯最終予選の第3戦、日本対韓国も未だに忘れない試合です。当時はまだまだサッカーのことはよく理解していませんでしたが、日本中がW杯に熱狂していた、当時のスタンドの熱気は今でも思い出すほどです。

日本は、ブラジルから帰化したばかりのFW、呂比須ワグナーをいきなりスタメンで起用してきました。代表の多くが海外組になってレベルが上がった今では考えられないでしょうが、当時はJリーグにいる外国人が帰化すれば、それだけで代表のスタメンになれるほどでした。その呂比須のことは韓国ベンチも警戒しており、韓国はカズに崔英一、呂比須に李敏成をマンツーマンでマークに付けてきました。

当時は、韓国のサッカーはがちがちにマンツーマンで付けてくる根性サッカーが幅を利かせていました。トップ下の中田英寿にもマンツーマンをつけ、試合を膠着状態にして得意のセットプレーで点を取って勝つのが韓国のゲームプランでした。これに対し、日本は前の選手がマンツーマンで厳しいので、マークされていないボランチの山口素弘を上げて勝負しました。

その山口素弘の美しい、ループシュートは今でも弾道を思い出せるほどです。しかし、日本代表の加茂監督が、この熱く燃える国立競技場の雰囲気にのまれてしまったようでした。今でも忘れない采配ミスは、FWの呂比須を下げてDFの秋田を入れたものです。FW高正云にマンツーマンでつける指示で送りながら、その高正云が交代していてMFの選手が入っていたという、ありえないようなミスでした。

これで、マークする呂比須がいなくなった李敏成は上がることができるようになりました。徐正源の同点ゴールが決まってから韓国はかさにかかって攻められるようになり、決勝ゴールはその李敏成でした。勝てる試合を監督の采配ミスで落とした、実にもったいない試合になってしまいました。

それでも、今振り返ればこの最終予選は、韓国に勝つことが目的ではなく、予選を通ることが目的です。当時のアジア枠は3.5あり、グループリーグで2位に入ってプレーオフを勝てばいいと、今の自分なら思えたでしょう。しかし、まだ若かった自分は、この敗戦に打ちのめされ、一人街をさまよっていた記憶があります。
コメント (2)
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