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埼玉と浦和レッズを愛する管理者のブログです。

狂喜乱舞のOG(2005年日本対バーレーン)

2018-01-20 18:41:10 | ワールドサッカー
浦和レッズは、1/23に沖縄キャンプで地元チームと練習試合を組んでいます。その情報が入れば記事にしますが、まだフィジカルトレーニングの段階なので、ブログは穴埋めネタでしのぎます。思い出の代表戦、今回は2005年のドイツW杯最終予選、日本対バーレーンの思い出を書きます。

当時の日本代表監督はジーコ監督でした。最終予選は、イラン、バーレーン、朝鮮民主主義人民共和国と同組で、2位以内が通過という条件でした。初戦の共和国戦はロスタイムの大黒のゴールで辛勝しましたが、2戦目のイランとのアウェイ戦を敗れ、このバーレーン戦は勝利だけがノルマの試合でした。

当時の日本代表は、イタリアでプレーしていた中田英寿をボランチに置き、トップ下には中村俊輔という、ジーコ監督時代に一世を風靡したMFたちがいた時代でした。そんな日本に対し、バーレーンは最初から0-0の引き分けを狙った戦いを見せました。後ろに5バックを残して引き、ひたすらクリアという戦い方で時間が過ぎていきました。

1トップのフセイン・アリは孤立し、ほとんどバーレーンにはチャンスがない展開ですが、それも計算通りとバーレーンは悠然としていました。中村俊輔のFKで次々と攻めてもクリアされ、ジリジリとする展開でした。そんな後半、宮本が入れたアバウトなクロスが、相手ゲームメーカーのサルミーンのところにこぼれます。

10番を背負う、バーレーンでは偉大な選手と言われるサルミーンにとって、これをクリアするのは簡単なタスクのように思えました。しかし、サルミーンはまさかのキックミスでこのボールを自分のゴールに蹴り込んでしまい、これが決勝点になって1-0で日本が勝利した、まさに辛勝でした。

展開的な面白さはなかった試合でしたが、この試合を覚えている理由は「OGの1-0でこれほど喜んだ試合はこれだけ」という記憶です。レッズではそんな展開ならブログに不満も書くはずです。しかし、代表だと1試合当たりの重みが大きいので、当時ゴール裏にいた自分はこのゴールに、「誰だか知らないけどオウンゴール」とわかっていても狂喜乱舞した記憶が大きいです。
コメント
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